を爭ふのではない、そこで其意思の爭となるのであるが其結果は強弱に依て定まるのである、但し虎の如き動物に就て意思抔といへば少しく高すぎるけれども人間に就て言へば其點は明かである、左樣なる理由であるから生存競爭の裏面には必ず意思がなければならぬ、若しも意思がなかつたならば生存競爭の起るべき道理は決してないのである、余は以前ショッペンハウエル氏の著 Ueber dem Willen in der Natur を讀んだことがあるが其意思論は蓋し佛教や波羅門から來た者であらうと思ふ、兎に角ショッペンハウエル氏以前には萬物發展の淵源を意思に置いた學者は西洋にはなかつたのであるのに同氏は此の如く意思を以て萬物發展の本源とする論を立てた、實に眞理である、ところがダーヰン氏の著 On the Origin of Species には意思論はない、是れは必ず意思論を以て補はねばならぬ、必ず先づ意思論がなくては到底進化論は立たぬのである。
 井上博士又曰く右樣な譯で意思なるものは根本的活力になるのであるのに進化論は其大切なるものを忘れて居るのである、一體吾々の眼耳抔の出來たといふのも全く意思が土臺となつたの
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