に居て二階三階の事を全く見て來たやうに法螺吹て居るのであるから氣樂なものである、唯法螺で以つて靜的實在だと歟運動だと歟目的法だと歟言つたところで決して信用の出來べきものでない、余輩進化學者は決して左樣な形而上學的認識で以つて滿足することは出來ぬ、今日となつては最早必ず所謂生物學的認識でなければ到底用立つべきものでないと思ふ、ところが從來の哲學者は多くは左樣なことを知らずして唯一心一向内界主觀の臆測のみに骨を折て居るのであるが、それは實に夢を見て居るやうなものである、夢では實に仕樣のない話であると考へる。
 井上博士曰以上論ずるやうに進化論は專ら外界の方からのみ見て居るから其餘儀なき結果として全く機械論に陷るやうになる、凡そ生存競爭は全く力次第である、強いものが勝ち弱いものが負けるといふことであるから其勝敗を神が前以て定めるのではないとするので、それは實に其通りに相違ない、が併し其競爭なるものに就ては先づ以て意思といふものに就て十分考へることが甚だ必要なる條件であると思ふ、例へば二頭の虎が一片の肉を爭ふと假想すると先づ其肉を己れに取らんとする意思が双方に生ぜねばならぬ、決して唯機械的に肉
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