ほ動向(Trieb oder Neigung)と稱せねばならぬと考へるのであるが偖然らば意思と動向とは如何なる相違である乎といふに植物や下等動物にあつて仍ほ無意識的に發動する者と、又人間及び其他の高等動物にあつて多少意識的に發動する者との間には、即ち意識の有無といふ相違があるからである、尤も高等動物にも人間にも意識的發動の外に又無意識發動もあるから、それは無論唯動向と稱せねばならぬのである、右樣なる譯であるから意思なるものはそれは全く動向の進化したものであつて唯特に人間及び其他の高等動物に就てのみ言ふべきものであると思ふ、然るにショッペンハウエル氏の如きは啻に萬物に就て意思を説くのみならず更に宇宙の本源(Weltgrund)を以て直に意思と認めたのである、即ち宇宙それ自身が既に大意思であると認めて居るのである、尤も其大意思は理性を具せざる大意思であるとして居るのである。
 評者又曰此の如く宇宙の本源が假令理性を具せざる大意思であるにしても苟くも既に意思である以上は必ず先づ意識的目的を有して居らねばならぬことになる、前述の如く意思には必ず意識的發動がなければならぬからである、隨つて又宇宙
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