ured Realism)なるものを擧げて其中に人間の身體を外界と内界即ち客觀と主觀との中間にあるものと看做して主觀的作用と客觀的作用とに就て巧みに説て居るが、それを見ると人間の行動に一定の目的がある如く宇宙の作用にも一定の目的のある工合が能く似て居るといふことが解る、尤も左樣なることは先づ兎も角もとしておいた所で尚言はねばならぬことがある、進化論は兎角現象界の表面のみを見るものであるから自然唯客觀的になつて内界の事を忘れる弊が多いのであるが、それではいかぬ、十分主觀的に研究するやうにすれば自然的現象が決して單に機械的でなく大に目的の存して居るものであるといふことが解らねばならぬと思ふ、そこに余は大なる疑があるのである云云。
 評者曰是れは前段の批評で最早盡して居ると思ふけれども併し猶少く論ずるであらう、スペンサー氏の内界外界主觀客觀論も固より多少の道理があらう、又博士が進化論は兎角外界的客觀的研究を主として内界的主觀的研究を怠ると非難する論も多少道理がないとは言へぬ、けれども從來の哲學は殆ど全く外界客觀を怠て唯唯内界主觀をのみ旨として居るのであるから遂に實驗實證といふことを輕視し其結
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