法則即ち自然法で以て起る現象が決して盲目的でない偶然的でない、自然力は必ず斯くあるべき因があつて斯くあるべき果が生ずるのであるから、それゆへ宇宙の現象は宛かも初め目的を定めて其目的通りに出來るのと同じやうに見えるには相違ない、けれども初め目的を定めるといふ一の超自然力は絶てないのである、唯宛かも、それがあるのと同じやうな結果になるといふに過ぎぬのであるから、それを目的法であるといふことは決して出來ぬ、矢張因果法とせねばならぬのである、茲に一の比喩を設けて説明して見やうならば古代にあつては地球が太陽を囘ると思つて居る、然るに天文學の開けで、それは大なる謬で反對に地球が太陽を囘るのであるといふことが解つた、けれども此の如き謬つた考も實際には餘り不都合はない、矢張太陽が地球を囘ると見て居ても、それで暦も出來れば又日月蝕も測れるのであるのであるが、學理上因果法であるものを謬て目的法と見て居ても、それは實際上餘り不都合はないのである、けれども、それを學理上から考へれば太陽が地球を囘るといふのと全く同樣なる謬見になるのである。
井上博士曰スペンサー氏は心理學原論中に超相的實在論(Transfig
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