る、凡そ生存競爭といふことに就ては二つに分けて見ねばならぬ點がある、其第一は境遇例へば自己の屬する國土、時世、周圍の状態等であるが是れは吾々の意思で以て何とも左右することの出來ぬものである、併し是等の境遇なるものを除けば其他は全く自己の意思で生存競爭が定まる、といふので是れが即ち第二になるのであるが、是れは實に尤なる議論である、日本が清露兩國に打勝つたのも日本人の意思が豫め打勝つべき準備をして居たからである、東郷大將が敵艦を全滅せしめたのも大將に壯大なる意思があつたからである、其樣な譯で意思がなければ競爭に打勝つことは決して出來ぬ、ウント氏は殊にショッペンハウエル氏の影響を受けて右樣な説を立てたのであると思ふ、其他パウルゼン氏も矢張同樣に論じて居る、進化論には必ず意思を加へて研究せねばならぬ、左樣にすれば進化論が大に變化して來る云々。
評者曰ウント氏も井上博士も皆自由意思論者(蓋し有限的)であるところから自然右樣なる説が一致すると見える、けれども余輩自然論者は人間にも他動物同樣に身心共に自由といふことを微塵も認許することは出來ぬ、人間も他動物から進化したのである以上獨り人間のみに自由意思がある抔いふ道理のあらう筈がない、獨り人間のみには有限的意思がある抔考へるのは大なる謬見である、博士はウント氏を贊して自己の屬する國土、時世並に四圍の状况等の如き凡て自己が關係する境遇の事は吾々の自由意思で以て如何とも左右することは出來ぬけれども其他の事に至ては凡て自由に左右することが出來ると論じ吾邦の對清對露の大勝や東郷大將の露艦全滅抔の例を擧げて説て居るけれども余は甚だ其理由を解することに困む[#「困む」はママ]のである、余輩不自由意思論者は右の如く人間にも身心ともに微塵も自由はないとするのであるから意思の起るのも全く已むを得ざる動機が原因となるのに外ならぬとする、而して其已むを得ざる動機は如何に生ずる乎といふに是れは一には父祖の種々の遺傳と又一には自己が外界の状况(博士が國土、時世、周圍の状態等と言へる類なり)に應化することに依て生ずるのである、それゆへ意思が決して自由に起るものでなきのみならず其意思を産み出す動機も亦同く已むを得ざる理由から生ずるのである。
評者又曰然るに自由意思論者が意思を自由なるものと考へるのは全く選擇の自由(Wahlfreiheit)といふものがある
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