本源が遂に超自然的神秘的大心靈的のものとなるのは當然のことである、博士がショッペンハウエル氏に就いて歎稱せられるのは最も其點にあるのであるけれども余のそれを首肯することの出來ぬのも亦其點にあるのである、又近來米國で頓に盛になつた彼のプラグマチスムスの如きは自然界と精神界とを全く同一視してエネルギーを以て直に意思と認め隨て自然界の現象をも凡て目的的に出來るものとするのであるが是れは甚だ謬つて居ると思ふ、尤も意思がエネルギーであることは無論なれども併しエネルギー即意思といふ樣に言ふことは出來ぬ、意思とはエネルギーの進化發展した部分に限るのは前述の通りである、プラグマチスムスが自然界と精神界とを別世界視せず全く同一世界であるとするのは余輩の最も是認する所であるけれども唯自然界と精神界との間に殆ど進化發展の程度を許さぬのは又余輩の取らざる所である、のみならず此學派は此點に於てショッペンハウエル氏と殆ど一致することになつて遂に宇宙の本源にも大意思なる大心靈を認めることになることになるのであるから此點は余輩の最も服する能はざる所である、但し後席に於ける井上博士の「ショッペンハウエルとジェームス」なる講演には必ず意思に就て右兩氏の一致する所以を説かれることであらうと思ふ、然るに余は宇宙を以て絶對自然的絶對因果的と認めて毫末も宇宙意思(Weltwille)なる超自然的神秘的なる意思を認許せぬからである、けれども余は余の自ら宇宙本體と認める所のマテリーとエネルギーとの合一點にも最先から既に必ず動向が存して居るものと認める、併し意思ではない、猶未だ意思に迄進化して居るものでないから是れは必ず無意識的でなければならぬ、未だ毫も意識的目的を有したものではないのである、然るに一般哲學者は兎角宇宙本體即ち實在を以て終始絶對的高遠完全にして實に言語に絶したるものとするのであるけれども余は宇宙本體を以て最も未進化未發展の状態より漸次に進化發展するもので殆ど其止まる所を知らざる程のものではなからう乎と考へるのである。
 評者又曰余輩がマテリーとエネルギーとの合一體とする所の宇宙本體は全宇宙即ち諸天體に通じて皆同一にして此合一體が諸天體の成立を營むのであるから決して諸天體の上にも又其外にも存在するものではないのであるが此宇宙本體は始め天體成立の際には仍ほ頗る未進化未發展の状態であるけれども、それより絶
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