あなたは同乗のよしみで、私を守って下さい。お礼はしますから」
 次に集った情報とはどんなものであったろう。即ち、
 一、綿井茂一の屍体、N原の一隅に発見さる。飛行機より墜死したもの。附近に未開の儘の落下傘発見。屍体には所持品(自分の持物以外)全然無し。近傍の農夫発見して届け出《い》ず。
 一、墜死者綿井茂一は、D飛行場出発前、飛行場員に託し、一封の手紙を投函せんとした。場員は受取った儘おいたが、事件報知と共に、警察官立会の上開封した。それはA市にある家庭に宛てたもので、商売上の失敗から厭世《えんせい》自殺をする旨の遺書で、その自殺の方法として、飛行機から飛び降りる事を択《えら》んだとしたためられてあった。これはD飛行場からの長距離電話。
 一、被害者秀岡氏は、取調べの結果、商業上の要務で、現金五万円余を携帯し、至急K市に向う途中であった。(同上電話)

        3

 訊問官は、今は三枝機関士を、正当な兇行者と疑わざるを得ない事になった。
「君は、秀岡氏を殺すと脅迫したろう?」
 三枝は、それがどうして分ったろう、と言うように顔色を変えた。
「…………」
「君と秀岡氏とは如何なる関係にあるのか?」
「謂《いわ》ば敵同士でしょうか――」三枝は観念したように小さく答えた。
「私の一家と、秀岡とは姻戚関係にあるのですが、それにも不拘《かかわらず》私の一家は秀岡の悪辣な手にかかって破産せられ、非常にみじめな目に陥入れられたのです」
「秀岡氏と君との間に今朝以来行われたいきさつを話し給え。勿論、飛行中君が便所に行ったとは嘘で、秀岡氏と面談する為めに行ったのだろう」
「…………」三枝は暫く黙然としていたが、あきらめたように口を開くと「或いはそうかも知れません」と悄然と言って、「然し、その嘘は事件が紛糾するのを怖れて口にした迄のものです。何故となれば、私のした事と今度の事とは全く無関係な筈なんですから。実は今朝D飛行場で顔を合わす迄、私は秀岡が乗客になっているとは知らなかったのです。私は秀岡の顔を見ると赫《かっ》となりました。胸の中が沸《たぎ》るような昂奮に襲われて了ったのです。秀岡も駭《おど》ろいていたようです。で、私はさきにも言いましたように、秀岡に対しては非常な怨みを持っていましたし、又困窮している私共一家の為めに、法律上は兎も角、経済的に相当な事をしてもらえる立場にあったので、その事を、此の顔を合わせた機会に一応口にしてみようと考えたのです。所が、私が客室に行きますと、幸か不幸か今一人の客、綿井氏が便所にでも行ったものと見え、いないのです。で、つい周囲に気兼ねもなく、秀岡にひらき直って話し出したのでしたが、秀岡は案の定、私の昂奮をせせら嗤《わら》うのみで、ろくに相手にもなろうとしないのです。そんな事がつい、私の気持を煽り、脅迫めいた事を言わせる事になったのです」
「ハンマアで撲《なぐ》り殺すぞと言ったのか?」
「違います。――其麼あく迄我々に対して悪魔のような態度をとるなら、こちらも悪魔になってやる。幸い貴方は血圧が高いし、心臓が弱いから、機を四千米ばかりに上げて、貴方を高空病にかからせて命を取ってやる、と脅かしたのです。そこへ便所から綿井氏が出て来たので、私は操縦席へ帰ったのです」
 ――三枝の答弁には淀みが無かった。然しその供述を立証する何等の証左も無い事は、如何とも出来なかった。係官一同は、錯綜した事件の外貌から、出来得る限りの真意を掴み取ろうと考え、次のような可能的な仮説を作り上げてみた。
 A 綿井が加害者である場合
 彼は商業不振より自殺を決心したものの、機上に於て同乗客の鞄中に大金のあるのを知り、三枝が秀岡を脅迫した事実あるを幸い、自身が兇行を演じて大金を奪い、自分は予定通り自殺を装って飛行機から飛び降りたが、落下傘に就ての知識が薄かったので、遂に惨死した(然しこの場合、不審な事は、その屍体が金を携帯していなかった事である)。
 B 三枝が加害者である場合
 三枝は綿井の自殺後秀岡を撲殺した。又は秀岡を撲殺後、綿井をも機上からつき落した。ただしこの場合も金の行方は不明。
 C 池内が加害者である場合
 厳密に言えば、Cの場合は考えられないかも知れない。何故となれば、池内と被害者とは全然|関聯点《かんれんてん》のない人達だから。尤も金が目的と言えば理由は出来るが、池内が若し犯罪に関係しているとすれば、彼は三枝の補助者であるか、共謀者であるかである。
 然し、警察が斯うして事件を探求しているうちに、求めに応じて各地からかかって来た長距離電話は、完全に池内操縦士のアリバイを確立させて了いつつあった。そして結局池内は、事件に就て、或いは精神的に関係者であったかも知れないにしても、直接な加害者ではない、と言う事を確認されずにはいられなかった。そして遂に茲《ここ》に、犯人は残った二名のうちに限定されてきて了った。即ち、Aの場合か、Bの場合か――?

        4

 池内は、自分一人になってつぶさに事件を考える、時間と気持の上の余裕を得た。すると彼の胸には、如何にしてもこの事件の謎を自分の力で解決しなくてはならないと言う責任感が湧いて来た。運命的とは言え、自分こそ事件現場にいた唯一の無関係者だ、自分がこれを解決せずに誰れに解決が出来ると言えるであろう。それよりなにより、又自分にとっては、親愛なる三枝を冤罪から助け上げなくてはならぬ義務がある。自分は彼を絶対に信じる。生命を投げ出し合っているエア・メンたちにのみ流れている純真な道徳が、決してそのような犯罪を犯させないであろう事を信じる!――池内は精密に思考をめぐらしてみた。と、又急に思いついた事は、途中で出会ったP民間飛行場の練習機の事である。「そうだ、空中で尠くとも我々以外に我々の機の中の様子を知っている者は、あの機の乗組員だ!」
 池内は警察にその旨を通知して、警察からP飛行場に、長距離電話で問い合せてもらった。返事は即ち恁《こ》うだった。
「――旅客機に会ったのは午前十一時二十四分。その時に操縦室に操縦士と機関士が着席し、客室に二名の乗客が練習機の方を窓を開けて眺めていた」
 報告を受取ると池内は我を忘れて万歳を心に叫んだ。勿論綿井の屍が発見せられたのは、P民間飛行場よりH飛行場に寄ったN原の上であるから、綿井がその頃まだ、機上にいたのは不思議ではないが、秀岡がちゃんと立派に生きていたとは一体何を意味するであろう。一体三枝が便所に行くと称して去ったのが、十一時十分ごろ。帰って来たのは正確に十一時二十分。そして、練習機と肩を並べたのが十一時二十四分。N原の上を通過したのが十一時三十二分頃であった。さすれば、秀岡の惨殺されたのは、三枝が操縦室に帰って後の事となり、三枝が二度と操縦室から出なかった以上、三枝は秀岡を殺した犯人ではなくなる筈ではないか!
「兎に角、三枝は僕の期待を裏切らなかった」――池内は雀躍《じゃくやく》した。だがそれを地上の人達に証明するにはどうしたらいいのか? 池内は考えざるを得なかった。
 がその翌日。
 池内は緊張の下に、隠し切れない喜びの顔色を泛《うか》べ乍ら、H警察署の召喚に応じた。今度は相手が検事だった。池内はすっかり自信ある態度で次のようにのべた。
「――今、容疑者は二名います。然し実際の所は三枝は犯人ではないのですが、彼には不孝にしてアリバイがないので証明出来ないでいます。けれど、これを別の方面から推しすすめてみると、或いは自然とそれが証明される結果になるかも知れないと思います。ではどう考えたらいいか? 即ち綿井氏はどうして死んだかと言う事です。署内では第一に自殺説、第二に他殺説となっているようですが、実際に於て綿井氏は自殺する心算《つもり》で飛行機に乗っていたのですし、又金を盗んだとしてはそれが屍体から発見されないのですから、第一の説も考えられない事もありますまい。然し一体自殺するのに落下傘を持ってする人があるでしょうか?」
「なに、第三者が其の男のすぐ後から落下傘を故あって投げたと言えば言えない事はなかろう。その意味から第二の他殺説も有力になるのだ。即ち突き落しておいて、すぐ後から落下傘を落して置くと言う事も、十分考えられ得るからね」
 ――検事の眼には、ありありと、当時の情況がうつる気がするのであった。練習機から見た時には乗客二人は生きていた。がそれから僅か飛んだN原には既に綿井が墜死していた。誰れにも、その僅かの間に、乗客二人を相手とした大格闘が行われたものとは推定され得なかった。乗客二名はどうせ団結していたろうし――。だから、どうしても綿井の死が先であるらしく思われた。もし自殺であるなら、秀岡が知らないでいる間に行われ得るし、他殺にしろ、彼を一人秀岡が知らぬ間に、便所におびき寄せ、そこから突き落すと言う事も不可能事ではない。孰《いず》れにせよ、兇行は邪魔者がいなくなってから、油断をみすまして一撃のもとに行われたものである事は明瞭である。邪魔者がいて、どうして阿麼《あんな》手際よい殺害振りが出来るであろうか。
「然し検事殿」検事の言葉を聞くと、池内は眉をあげて言った。「落下傘は屍体のすぐ傍にあったと言うのではないのですか? 一体あの時、機の速力は時速百二十|哩《マイル》位でした。だから、そうです、秒速にすれば一町ぐらいに当るのです。若し貴方が謂《い》われるように、綿井氏を落して後、落下傘を第三者が投げたとすれば、如何にしても一町や二町、屍体と落下傘の距離は出来なければならない筈なのです。落下傘は確実に綿井氏が携帯して飛び降りたのである事は、後に示された現場から見て確実です」
「すると綿井氏は自殺でも他殺でもないと言う事になるではないか?」
「そうなのです。私は考えるのですが、綿井氏は自殺する心算でいた事は確実で、飛行中もその飛び降りるべく心を砕いていた、が急な精神上の転化から自殺を思い止まり、その前にゆくりなくも発見していた落下傘を利用し、一狂言演じようとして失敗したのであろうと思います」
「すると君は、秀岡氏殺害犯は綿井氏だと言うあの説なのだね」
「いや、それは一寸待って頂きたいのです」池内は時計を出してみて「もうすぐ、それは他から証明される筈になっておりますから。その報告次第に依っては、私は事件をどう取扱っていいか分らなくなるのですが、多分、期待通り解決はつく事になりはしないかと思います」
「君は、では、孰れにせよ、綿井氏より秀岡氏の方が先に死んだものと解釈するようだね? もし綿井氏の方が先に飛行機からとび降りれば、秀岡氏を殺害した犯人は君の主張によれば、どこにもないと言う事になるからね」検事は鷹揚に池内の言葉を聞き終ると言った。
「いや、綿井氏は絶対に秀岡氏の死より先に機から飛び降りたのではないと考えます。綿井氏の精神を自殺から他へ転向させたのは、勿論、秀岡氏の所持する金が自分の手に握れる立場になった故に違いありません。他に理由のつけようがありませんから――。然し理由もなくどうして秀岡氏が、そんな大金を甘んじて綿井氏に提供するでしょう……」
「では矢張り秀岡氏殺害犯人は……」
 ――丁度そこへ署員が慇懃に現われた。
「唯今、N警察署から通知がありまして、昨日綿井氏の屍体を発見して届け出た農夫が再び警察に出頭して、自分が屍体の懐中からこれだけの札束を横領隠匿したと自白して、五万円の金額を提出したそうです」
「うむ!」検事は頷いた、池内の顔も難関が取り除かれたように釈然と明るくなった。途端、卓上電話のベル。
「ああそう」検事は電話の相手に応えた。そしてうんうん聞いていたが、不審気な面持で、受話器を池内の方へ渡してよこした。
「P民間飛行場から長距離の電話だ。何だか僕には分らぬ事を言っている」
 かわるとそれは斯うだった。――「御通知によって、昨朝飛翔したアブロ練習機を精査してみると、車輪軸に打たれている鋲《びょう》が一個はずれている事を発見した。紛失は昨日の練習飛行の際行われたものである事は明らかである」

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