ん生は描き出してみせてくれる。

 先代小圓朝門下で圓喬《えんきょう》に傾倒し、先代志ん生の門を叩いた彼は、早く江戸前の噺の修業はいっぱしに終えていた、圓朝系の人情噺もひととおりは身につけていた。ひと頃先代蘆洲門下に走って張扇を手にしていた時代のあったことも、続きものの読める今日の彼に役立っていないとはいえない。
 ただ、いかにも昔は陰気でひねこびていたのが(私は馬きん時代のこの人の高座をハッキリと覚えているが)、事変三、四年前、初めて三語楼という陽花植物を己れの芸の花園へ移し植えるに及んで、めきめきとこの人の本然の持ち味は開花した。さらに先代圓右の軽さが巧い具合に流れ込み、溶けて入ったことによって、ついに志ん生芸術の開花は結実にまで躍進した。
『寄席』や『圓朝』を一時間も二時間も読んで、時に笑わせ、時にホロリと、自在な腕を揮《ふる》えるのも、思えばこうした永い年月の粒々辛苦の芸術行路のゆえである。けだし自然であるといえよう。

 文楽と志ん生とが当代の二大高峰であると冒頭に言ったが、幸福にも私は全落語界きってこの両者とは特別の親近の交わりがある。喜びとしないわけにはゆかない。
 志ん
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