た。
じつはその頃婚約していた宝塚のある女優さん(レビューガールの語はまだ日本にはなかった!)がやっと数日の休暇をみつけて(私の方からはしじゅう上方まで逢いに行っていたが)明日は上京してくるという、すなわちその前夜だった喜びもなかなかに手伝っていたにちがいない。その興奮の対象にされた日本太郎こそまことにいい面の皮だったともいえようし、ためにお客一人増えたのだとすればまんざらでもなかったのだともまたいえよう。柳水亭はその後、勝岡演芸場となって晩年の若水美登里などの安芝居の定席となり、のち[#「のち」に傍点]東宝系の映画小屋となってしまったが、電車道に沿って二階いっぱいに客席のある寂しい小屋だった。かてて加えてひどい大雨の晩だったので、お客はせいぜい二十何人くらいしか来ていなかった。定刻の六時になると文字どおりの独演会で、奴さん、前座もつかわず、ノコノコ高座へと上がってきた。そうして、近所の牛込亭や神楽坂演芸場《かみはく》の落語家たち(ついこの間まで彼自身もその仲間だった)の独演会のやり口を口を極めて罵り、自分のような、この、こうしたやり方こそがほんとうの独演会なのだとまず気焔を上げた。
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