が街裏にあったと聞きますが、いしくもその頃の噺家の持ち味をたまたま身につけて生まれてきた唯一の人なのでしょう、そういうこともまた涙ぐましく考えさせられました。同時にいつも十枚二十枚ではダメで、七十枚八十枚と書かなければ味の出ない作家ともいえる。
「道灌」は冬を待つ障子の真っ白な色が見え、おつな隠居所らしくうれしかった。久保田万太郎氏が『さんうてい夜話』で書いていられる野村の村雨《むらさめ》のくすぐりも聴かれ、すべて古風でなつかしいものでした。いろいろ孔明その他の本格な故事のいい立ても、まくらの「道灌」ばかりやっていたため※[#歌記号、1−3−28]道灌(瓢箪)ばかりが売り物(浮きもの)か――なる地口《じぐち》ができたという故人某の思い出とともに結構でした。ただ三枚目《ピン》を叱る時の目が少しこわすぎること、それとこの人は時々せっかくの三枚目《ピン》のギャグをムダに(表現で)してしまうことに新しく気づきました。じつはこの春の「長屋の花見」の時うすうす気づいていたことがさらに今度具象的となってきたのでした。が、まだ、ここをこうしてくれと注文が出せるまで、その難点が的確に私の心の中で構成され
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