ちばなやみよしや》さんです。あのポツリポツリ一句一句を噛んで吐き出す歌いぶりは、およそ風格的で、まず橘之助の歌いようをげさくな味感にでっちたものでともに至宝だと感嘆される。
 噺家では三代目小さんが結構でしたが、志ん生になって死んだ馬生(金原亭・六代目)もよかった。のど[#「のど」に傍点]も富本のやれる人で渋かったが、あの歌い調子で「三人旅」など、
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※[#歌記号、1−3−28]別れてそののちたよりがないが
  心変わりがもしやまた
たまたま会うのに東が白む
  日の出に日延べがしてみたい
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 と――こうした文句を地でしゃべる味が何としても忘れられません。
 ――あの頃の人では最近まで残っていた音曲師は万橘《まんきつ》爺さんでしょう。さすがに枯れていてうれしかったが、でも、万橘は都々逸以外の音曲――たとえば「ゼヒトモ」や「桜へー」や「桑名の殿さま」に全面目があると思う。昨今では当代のかしくが哀愁的ですが、訛りのあるのが惜しいことです。ずぼら[#「ずぼら」に傍点]を慎めば小半治がかなりのものなのに。
 大阪では、先代の千橘(立花家)が懐かしまれました。例の下五に入れ撥《ばち》の入る独特な都々逸で、たとえば、
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※[#歌記号、1−3−28]打つも叩くもお前のままよ
  惚れたんじゃもんの[#「もんの」に傍点]好きなんじゃ
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 入れ撥はここであしらわれて、さて、
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……もんの……
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 と結ぶのです。
 同じ節廻しのを、隠退した圓太郎(橘家・五代目)がやり、さらに、その弟子の小圓太がやり、ある場合、小圓太節とさえいわれていますが、それぞれにおかしい。――圓太郎はあの鉄火な美音だし、さりとて小音ですがれた[#「すがれた」に傍点]ところに哀感のある小圓太のもまた捨てがたいと感じます。
 大阪の噺家では、林家染丸(二代目)が傷毒《かさ》がかったしわがれ[#「しわがれ」に傍点]声で歌う都々逸が、かんじんのこの人の噺よりもいい。よしこの[#「よしこの」に傍点]とか、そそり[#「そそり」に傍点]とかいった味で、
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※[#歌記号、1−3−28]舟じゃ寒かろ着てゆきゃしゃんせ
  わしが部屋着のこの小袖
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