に傍点](場違い)よと、一部のお仲間うちにはとかくさんざんにさげすまれたり。
遮莫《さわれ》、その小亀一座にはがんもどき[#「がんもどき」に傍点]と仇名打たれし老爺あり、顔一面の大あばた、上州訛りの吃々《きつきつ》と不器用すぎておかしかりしが、ひととせ、このがんもどき[#「がんもどき」に傍点]、小亀社中と晩春早夏の花川戸東橋亭の昼席――一人高座の百面相に、その頃巷間の噂となりし小名木川の首無し事件を演じたりけり。まず犯人を逮捕せんと捕縄片手にいきまく刑事、お釜帽子も由々しき犯人、捕縛現場の赤前垂もなまめかしき料亭仲居と次々に扮したるいや果てが、水上たゆた[#「たゆた」に傍点]と泛《うか》びたる女の生首。何しろ、じゃんこ[#「じゃんこ」に傍点]面の見るもいぶせき男だけに、この生首、物凄しとも物凄し、いやはやぞっとおののきし記憶あり。百面相も数々あれど、かかるぐろてすく[#「ぐろてすく」に傍点]なるはまたとあるまじ。まずは他日の思い出までに一筆ここに誌すとなん。
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寄席の都々逸
この頃は寄席にもいい音曲師がいなくなって、従って、いい都々逸も聴かれません。
震災前では、先代の文《ふみ》の家《や》かしく、あの蟹のようにワイ雑な顔で、いつもきまって十年一日しゃっくり[#「しゃっくり」に傍点]のまじる都々逸ばかりやりました。――※[#歌記号、1−3−28]浅利、蛤やれ待て蜆、さざえのことから角を出し――というのが絶品だったといいますが、そういう文句や節廻しの記憶はなく、やはり、しゃっくりばかり。あとは、むしろ「蟹と海鼠《なまこ》」のとっちりとん[#「とっちりとん」に傍点]が、あの顔にピッタリとしていて結構だったと覚えています。
歌六だの圓太郎だの鯉《り》かんだの、その鯉かんはよく鶯茶の羽織をぞろりと着て、
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※[#歌記号、1−3−28]手に手つくしたおもとが枯れて
ちょっとさした柳に芽が吹いた
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と歌った。それと、もうひとつ、上を忘れて残念だが、下は「芝の神明で苦労する……」というのでした。江戸前の文句にて忘れません。
あの仁は風貌とこしらえ[#「こしらえ」に傍点]が江戸末期的の感じで、それが都々逸とあいまっていい「侠《いなせ》」を感じることがありました。
絶品は何といっても橘家三好爺《た
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