鶴屋善兵衛を探すくだりだ。あすこを、やまと(当時、文楽)は、どどいつでやる。※[#歌記号、1−3−28]三人揃って歩いちゃいれど、今夜の泊まりは――ここで、ぐいと調子をあげて、八方へ聞えるように「鶴や善兵衛」と言うんだぞと、兄貴が教える。いい声だ。心得て、やる。ところが歌う本人は※[#歌記号、1−3−28]三人揃って歩いちゃいれど、どこが鶴屋だかわからない[#「どこが鶴屋だかわからない」に傍点]――ここんところがひどくよかった。――その前にまだ、みんなの無筆が表れないで、一人が実は鶴屋の看板の読めないことを白状する。兄貴がさんざん啖呵《たんか》をきる。「べら棒め、けえったら学校へゆけ……――」(この学校という言葉にも彼から聞く時、開化! があった)。相手は恐れ入って「じゃあ、兄ィ、読んでくんねえ」と言う。と「俺も読めない」。相手がまた言う。「じゃあ、東京へけえったら二人で学校へゆこう」云々。
この「二人で学校へ」も、なんともいえず、おかしくもあり嬉しくもあった。もちろん「とろろん」は圓右もやった。箱根山は山師がこしれえたかときく弥太っ平の馬楽。湯へさかさまに入ると下げる故人小せん。先の品川の圓蔵のも聴いたし、※[#歌記号、1−3−28]たまたま逢うのに東が白む、日の出に日延べがしてみたい――と渋い調子でこう諷う。志ん生も巧い。若いところで甲の強い馬に乗るのを圓楽もやる。お灯明の今の馬楽、「朝蠅」の正蔵。
だが、つまるところ、いくたびか聴かされたこの文楽の「とろろん」が一番よかった。一番、近代味が無是候。そうして一番旅だった。江戸人の旅のこころだった。まこと、「三人旅」の情懐を一番よく知っていたのは、この文楽のやまとではなかったろうかと思っている。
そのやまとが、ついに高座に影をしまったのだ。私としていかんともいっぺんの感懐なき能わず。泣いてやってもよかろうと思う。
今夜あたり、高座でも沸る鉄瓶の白い煙が、人知れず嗚咽しているこったろう。南無桂才賀頓生菩薩!
百面相異聞
湊家小亀といえば、暮春の空に凌雲閣の赤煉瓦、燦爛《さんらん》と映えたりし頃、関東節と「累身《しじみ》売り」の新内をいや光る金歯の奥に諷い、浅草のあけくれに一時はさわがれし太神楽の、そののち睦派の寄席にも現れ、そこばくの人気を得しも、一人舞台の熱演にすぎ、あれはばち[#「ばち」
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