身近に感じないわけにはゆかなくなっていたのだった。


     三

 圓朝二十九の夏がきた。
 ペルリの黒船来航以来、にわかに息詰まるような非常な匂いを見せだしてきていた世の中は、相次ぐ内憂外患に今や何とも名状しがたい物騒がしさはほとんどその頂点にまで達していた。水戸の天狗騒ぎ、長州軍の京討入、次いでその長州征伐、黒船の赤間ヶ関大砲撃、そうしてさらにこの六月には公方様は一切を天朝様へお還し申し上げなければ。そこまで事態は切迫していた。そうした目狂おしいばかりの非常時歳時記の真っ只中で、どの芝居へも、どの寄席へも、恐しいほどよくお客がきていた。
 燭火の尽きなんとする一歩手前の明るさのような無気味なものをまんざら誰もが感じないわけでもなかったが、それはそれとし圓朝自身のことにすればあくまでいう目はでる[#「でる」に傍点]ばかりだった。小糸との間も、日に日に深くなっていたし、いま、この世の中は全く自分のために動いているか。そうした考えを抱いたとてさして大それてはいなかろうくらいだった。
 でる杭は打たれる。
 しかし仲間での圓朝への非難は、ようやくこのころから目に見えて勢いよく沸騰してきた。柳派の首領春風亭柳枝など手堅い素噺の大家だけに、圓朝打倒の急先鋒だった。日頃、ひそかに圓朝の盛名を妬んでいた連中も、しめたとこの大傘下へ集まってきて気勢を上げた。そこへ持ってきて当の三遊派の家元で圓朝取り立ての師匠たる二代目圓生が、双手《もろて》を挙げてその打倒論へと賛意を表した。客の中にも文化文政ごろからの生き残り爺さんがまだいて、初代の可楽はどうのむらく[#「むらく」に傍点]はどうのと五月蠅《うるさ》いことを並べ立てる手合が少なくなかった。期せずしてそうした人たちもまた、鬼面人を脅かす斬新奇抜な圓朝の演出法を糞っけなしにけなし付けた。一部における圓朝の非難は、もうさんざんなものだった。
 にもかかわらず――にもかかわらず一般大衆の人気は、いよいよ紅白だんだらの大渦巻となって燃え上がっていくことが仕方なかった。否、一方で貶《おと》しめれば貶しめるほど、かえってそれは圓朝の人気へ油を注ぎ、火を放ち、果ては炎と燃え狂わすかと、赫々たるものとなりさかっていった。
 勢い、争って席亭が、手をだした。と、きまって圓朝の看板ひとつで圓生も柳枝もあらばこそ、てんで勝負にも何にもならないほどの多くのお客がその寄席へ呼ばれた。いよいよ打倒派、躍気とならずにはいられなかった。
 ちょうどそのころ。春風亭柳枝が、若き圓朝に一大痛棒を加えんとした場面が、「圓朝花火」というかつての私(注・筆者)の短篇小説に叙されているから、勝手ながら左へその一部を抄《ぬきがき》させて貰おう。

 ――スルスルスルと蛇のようにあがっていった朱い尾が、かっと光りを強めたかとおもうと、ドーン、忽ち大空一ぱいに、枝垂柳《しだれやなぎ》のごとく花開いた、つづいて反対の方角から打ち揚げられたは真っ赤な真っ赤な硝子玉《びいどろだま》で、枝珊瑚珠のいろに散らばる、やがて黄色い虹に似たのが、また紅い星が、碧い玉が。
「玉屋」「鍵屋」
 そのたび両国橋上では、数万《すまん》の人声が喚き立てた。

 まずこうした両国川開きの情景からこの拙作短篇は始められていたのであるが、その晩珍しく内気で引っ込み思案の小糸が清水《きよみず》の舞台から飛び下りた積りで晴れがましくも圓朝とただ二人、花火見物の屋根船と洒落込んだ。

 然るにそうしたせっかくの千載一遇の歓会なのに、とかく、圓朝はふさぎ込んでばかりいる、何話し掛けても生返事ばかり、男の意《こころ》が読めなくて思わず小糸が焦《じ》れて涙ぐみかけたとき、
「しっ、しずかにおし、お前さんに怒っているんじゃない。見な向こうの船にゃ敵薬がいらあな」
 はじめてこういって圓朝、小糸をたしなめたのだった。
 筋向こうの屋根船には当時の落語家番付で勧進元の貫禄を示している初代春風亭柳枝が、でっぷりとした赦《あか》ら顔を提灯の灯でよけい真っ赤に光らせながら門人の柳條、柳橘を従え、苦が苦がしくこちらを見守っていた。
 元は旗本の次男坊で神道に帰依したといわれる柳枝は自作自演の名人で、中には「おせつ徳三郎」や「居残り佐平次」のような艶っぽい噺もこしらえたが、根が神学の体験を土台に創った「神学義龍」や「神道茶碗」のほうを得意とするだけあって頑固一徹の爺さんだった。したがって圓朝が時世本位に目先を変えてはでっち上げる芝居噺のけばけばしさを、心から柳枝は軽蔑していた。
(落語家は落語家らしく、扇一本舌三寸で芝居をせずば、ほんとうの芝居噺の味も値打もあったもんじゃねえや。
 それがあの圓朝ときたら、どうだ。
 長唄のお囃子を七人も雇いやがって、居どころ変りで引き抜いてとんぼ[#「とんぼ」に傍点]は切る、客席へ掘り抜き井戸を仕掛けてその本水で立廻りはしやがる。
 まるで切支丹伴天連じゃねえか)
 いつもこういって罵っていた。
(それもいいや。
 それもいいが、揚句に芝居の仙台様がお脳気《のうけ》を患いやしめえし、紫の鉢巻をダラリと垂らして、弟子の肩へ掴まって、しゃなりしゃなりと楽屋入りをしやがるたあ何てえチョボ一だ。
 そんなにまでして人気が取りてえという了見方が情けねえじゃねえか。
 しょせんが芸人の子は芸人だ。
 親代々の芸人は根性からして卑しいや)
 こうもまた罵っていた、圓朝の父圓太郎とて遠い昔はかりにも帯刀であったものを。
 ……こうした悪口は、もちろん、圓朝の耳へも響いてきた。
 けれども何といっても相手は江戸一番の落語家、長いものには巻かれろとジッと歯を喰いしばっていたのであるが、今宵はしなくも惚れたお糸と花火見物の船の中で、その大敵の柳枝と水を隔てて真っ正面に対面してしまった、お糸は何知る由とてなかったが、早くから圓朝気づいていたのでまだ三十にはひとつ間のある血気な身の、しきりに最前から一戦挑みかけたい闘争意識が火のように全身に疼いてきてならないのだった、が、そうした事情をこれまた知る由もない船頭衆は押し合いへし合う背後の船を避けようため、かえって圓朝の屋根船を、問題の船のすぐ前方へと、グイとひと梶すすめてしまった。
「ねえ師匠。どっかのお天気野郎が御大層な首抜きの縮緬浴衣を見せびらかしにきていやすぜ」
 聞こえよがしのお追従を、一番弟子の柳條がいった。
「……」
 突嗟に圓朝はムカッとしたが、強いて聞こえないような振りをしていると、
「へっ、一帳羅の縮緬浴衣を着ちらして、水でもはねたらどうする気でしょう。縮緬という奴は水にあてて縮んだら、明日の晩から高座へ着て出るわけにはいきやせんからなあ」
 今度はもうひとりの柳橘がいうなり、カッと舟べりへ、さも汚いものでも見たあとのように唾を吐いた。
 ベッ、ベッ。何べんも何べんも吐きちらした。
 そうして、いつ迄も止めなかった。
 たちまち圓朝はカーッとなった。グ、グ、グ、グと身体中の血汐が煮えくり返るような気がしてきて、
「コ、こんな浴衣は二十が三十でも俺ンところにはお仕着同様転がってらあ、なあ、なあ、お糸」
 いつになくこんな鉄火にいい放ったかとおもうとにわかに立ち上がって舟べりへ片足かけ、
「エイ」
 もんどり切ると青々とした水の中へ、ザブーンとその身を躍らせた。
「やっ身投げだ」
「身投げだ」
 口々に数万《すまん》の見物は愕いたが、やがて真相が知れ渡ると、
「ちがうちがうそうじゃねえんだ、落語家《はなしか》の圓朝が洒落に飛び込んで泳いでるんだ」
「エ、洒落に泳いで。フーム。生白《なまっちろ》い顔してる癖に圓朝て意気な野郎だなあ」
「意気だともよ、圓朝、圓朝しっかり泳げ」
 我も我もと花火そこのけで圓朝を声援しだした。
(いけねえこいつァ。
 余計なことをいってしまって、かえって圓朝に落《さげ》を取られた)
 ガッカリしたように顔見合わせている柳條柳橘を尻目にかけて圓朝は、ややしばらくその辺を泳ぎ廻り、もういい時分とぐしょぐしょに濡れそぼけた縮緬浴衣のまんま自分の船へ泳ぎつくと、
「おい早く、そっちの浴衣をだしてくんねえ」
 舟べりでどうなることかとハラハラしていた寂しい美しい横顔へまた鉄火に呼びかけた。
「あいあい、お前さんあのこれで」
 スーッと立ち上がっていったお糸は濡れた浴衣をぬがせるとすぐ用意してあったもうひとつの寸分違わぬ首ぬき浴衣を、まだ身体中水だらけの圓朝の背中へと、フンワリやさしくかけてやった。
「豪儀だなオイ、圓朝って。あの素晴らしい縮緬浴衣[#「縮緬浴衣」は底本では「縮濡浴衣」]、何枚持ってきてやがるだろう」
「全くだ、若えがド偉え度胸ッ骨だぜ。たのむぞ圓朝――っ」
 またしても八方の船から見物たちは、霰《あられ》のような拍手を浴びせた。
 もう柳條も柳橘もなかった。
 いや、さしもの大御所柳枝さえが、すでにすでに若い圓朝の前に完全にその色を失っていた。
 今こそ江戸八百八町の人気という人気を根こそぎ一人でひっさらって仁王立ちしている自分を、圓朝は感じた。
 ああ、この夜のこと、とわ[#「とわ」に傍点]に忘れじ、お糸よ、花火よ――いつかカラリと不機嫌の晴れて、心にこう喜ばしく叫ぶものがあった。
 ぽん、すぽん、ぽん――。
 折柄、烈しい物音がしてにわかにこの辺り空も水も船も人も圓朝もお糸も、猩々緋《しょうじょうひ》のような唐紅《からくれない》に彩られそめたとおもったら、向こう河岸で仕掛花火の眉間尺《みけんじゃく》がクルクルクルクル廻りだしていた(下略)。

 文意の前後重複のところあるだろうがひとえにそれは許して貰いたい、要は、こうして圓朝打倒の大|旆《はた》を揚げた人たちはかえって内に外にいつも空しく惨敗を喫することとはなってしまったのだった。
「人気」というひとつの大きな趨勢の前、鬼夜刃羅刹といえども、それには対抗することできなかった。非難すれば非難するだけ、礼讃すれば礼讃するだけ、どっちへどう転んでも圓朝の名はうららな朝日のいろにと染められていくばかりだった。
 その晩、何べんも嬉し泣きに泣きたいような思いになりながら圓朝は、船で小糸の家までおくられていった。三年前世話する人に死別れたままの小糸の家は圓朝の住居のもう少し河上にあって、庭から河岸へと張りだされている桟橋へは、涼しく暗い川波が寄せて返していた。ピタリとそこへ船が着いた。まだ濡れている手でしっかり小糸の手を取って圓朝は、いつか今にもひと雨きそうに曇ってきた夜空の下、鉄砲百合の花香ただよっている前庭のほうへとあがっていった。

 ……そのころから圓朝はこの小糸の家の二階で、ひとりしずかに新作噺の構想を凝らすようになった。母のおすみも小糸贔屓でよくやってくれば、萬朝をはじめ弟子たちも姐さん姐さんとよくなついて始終出入りしだした。寂しい、影そのもののような感じのおんなだったが、人一倍苦労の味を噛みしめてきているだけに弟子たちの面倒もじつによく見た。
「あの姐さんならうちの師匠と似合いの夫婦だ」
 口々に弟子たちがこういった。
 圓朝自身もまた、そのつもりだった。なればこそ半分、自分の家のようにしてそこの二階から寄席や座敷へとかよっていたのだった。
 ただその小糸にして只ひとつ、いつもしみじみと弟子たちにいうことがあった。
「うちのお師匠さん、平常《ふだん》はほんとうに申し分ないお人だけれど、私困ってしまうことがひとつだけあるの。噺をおこしらえなさる前の二、三日……そりゃほんとに妙に機嫌が悪くなっておしまいなすって、急にひとり言をおいいだしなすったり、部屋ン中をぐるぐるあちこち[#「あちこち」に傍点]お歩きンなったり、お顔といったらそりゃもうほんとに恐しくなって。御自分は女がお産をする迄の苦しみと同じなんだよっておっしゃるけれど私、あんな私、困ることッたらないわ」
 言いおえるときいつも伏せられた寂しい黒い目は、シットリ途方に暮れたよう露帯びていた。
 つまりそれほど圓朝の噺へ打ち込む魂は真剣だったのだった、いずこいかなるとこ
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