となってはしまっていたのだった。
 もっとも今夜おそくには、この間浅草の雷鳴亭からたのまれていった座敷のお銭《あし》がなにがしかとどけられることになっていたから、それでけさ餅代に質入れしたばかりの高座着さえだしてくれば、あとは書き入れの初席《はつせき》がいやでもふんだんに小遣いを稼がせてくれる。印袢纏一枚でも圓朝、ノホホンとさのみ苦労はしていなかったわけだった。萬朝はじめ弟子たちが湯へいってしまったあと、八つ下りの夕日の傾きそめたすみだ川の景色を父圓太郎の死後こっちへいっしょになっている阿母《おふくろ》と二人、炬燵に入りながらのんきに眺めていた。
「師匠いますか」
 侠気《いなせ》な若い仕の声がした。阿母がでていってみると、万八の若い仕だった。金太郎武蔵の旦那が御朋輩と年忘れにきておいでなさる、すぐ飛んできて貰いたいというのだった。
 永年のひいき先――着物《よろい》があるもないもなかった。
「ヘイ只今すぐ伺います、どうかよろしく」
 オドオドしている阿母の様子をおもって、ワザと元気に障子のこっちから声だけ掛けた。では何分お早く――とすぐ若い仕はかえっていった。
「いやだお前どうするお気だえ」
 心配そうに阿母が入ってきて、
「近江屋さんへいってこの事情をいってちょいと一時高座着をだして頂こうか……」
「いらない、いや、いりませんよ阿母《おっか》さん」
 首を振って圓朝、
「だって芸人がそんな、あた[#「あた」に傍点]みっともないそんなことは、……」
「だってみすみすお前なかったことには」
 また心配そうに圓朝の顔を見た。
「いや、けれども」
 もいっぺん首を振って、
「何とか、何とかなります」
「なりますたってお前」
「なりますったらなりますよ。大丈夫。阿母さんはそんな心配しないでも。ア、そうだ、それよかお使い立てしてすまないけれど表の小間物屋の娘さんの羽子板をひとつちょいと借りてきておくんなさいな」
 呆気にとられてそのまま阿母は表へでていったが、やがて仇っぽい粂三郎のお嬢《じょう》吉三《きちざ》の小さな羽子板かかえてかえってきた。
「ハイすみません。サ、あと[#「あと」に傍点]は台所へいってと、そう、豆絞りの手拭だ」
 自身、台所から取ってきて、
「じゃちょいといってきます阿母さん」
 もうそのまんま土間へ下り立っていた。
「大丈夫かえお前ほんとにそんな装《なり》で」
 まだ心配そうに阿母は眉を寄せた。
「細工は流々《りゅうりゅう》仕上げをごろうじろ、とんだ『大工調べ』だが、大丈夫ですよ、これでもし一、浅草の寄席からお銭《あし》のとどくのが遅れてもいまいって演《や》る一席ですぐお宝が頂けますから」
 安心しておいでなさいとばかりピューッと圓朝は飛びだしていった、大晦日の夕日|舂《うすづ》く茅町の通りのほうへ。

「ヘイ圓朝、年忘れのお見舞いにうかがいました。誰方《どなた》も佳い年をお取り下さいやし」
 その羽子板ギューッと豆絞りの手拭で額のまん中へ結びつけて、さながら出入りの大工左官がお見舞いにきたようなかっこうをして圓朝は、汚い印袢纏のまんま颯爽と萬八の大広間へと飛び込んでいった。
「……」
 はや紅白梅活けた大花瓶まん中に、お供《そな》え祝った床の間ちかく、芸者幇間を侍らしてドデンとおさまっていた三十八、九のでっぷり立派やかな金太郎武蔵の主人はじめ、通人らしいその朋輩たちは、いずれも奇抜なこの圓朝のいでたちにアッと目を奪われてしまった。しばらくマジマジみつめていた。やがて感嘆の声が洩れてきた、誰彼からとなく。
「感心、いい趣向だな」
 金太郎武蔵のすぐ隣りにいた目の細い若旦那風のがまず、いった。
「ウーム、気取らねえで凝っていてさすがに圓朝だ、こいつァ頂ける」
 その隣りにいた若禿げのした旦那も賞めた。
 並いる人たちも芸者たちも、幇間たちも、みんながみんな御趣向御趣向といいだした。
 誰一人あっていま人気者の三遊亭圓朝、元日をあしたに控えてまさかにこの印袢纏一枚とはしるよしもなかった。あくまでこれを趣向とおもい、洒落と信じ、一座心から賞めそやした。ほうぼうから自分の贔屓を賞められて金太郎武蔵、ただもうわけもなく恐悦していた。
 ……その晩、圓朝はおびただしい御祝儀をいただいた。


     二

 そうした中でさらにひとつ「菊模様皿山奇談」を書き上げた。
 これはおよそ大道具大仕掛のものだった。
 山門のセリ出しがあったり、忍術使いが大きな蝶へ乗って登場したり、高座の前へ一杯水をたたえた水槽を置き、ザブンとそれへ飛び込んで高座裏へ抜け、首尾よく早替りを勤めたりした。
(この水を毎日必ず取り替えておくはずを、うっかり萬朝忘れてしまい、汚れた水の中へ圓朝を飛び込ませて、叱りつけられたこともあった)
 これだけでも道具、衣裳、目の玉の飛び出すような入費だった。くじけずに圓朝、片っ端から気前よくこしらえていった。しかもチャチないい加減なものではなく下手な緞帳芝居は敵ではないほどの絢爛なところをこしらえさせるのだったから、その費用は一段とかさんでしまった。
 その上、この興行から本式の長唄囃子連中を七人も頼んで演奏して貰った。これにも莫大の出演料が必要とされた。
 その代りイザ蓋を開けると千両の役者には千両の鳴物さらにまた千両の道具、まさかに千両はかからなかったとしてもおよそ寄席の高座には吃驚するような絢爛豪華ありったけ[#「ありったけ」に傍点]のものが花々しく展開され、高座は冴えに冴えたのだった。
 アッと人びとは目を瞠った。
 息を呑んだ。
 こんな目のさめるような華やかな道具噺、いまだかつてめぐりあわしたことなんてなかったからだった。
 きた、客が。やたらにあとからあとからひっきりなしに詰めかけてきてはたちまちどこの寄席でも襖障子を取り払ってしまい、まるで正月興行のような大入り繁昌を呈することとはなってしまった。
「あんなコケ[#「コケ」に傍点]脅しにひっかかるなんて、このごろの客は悪くなったんだ」
 聞こえよがしに師匠圓生はまた、ほうぼうでから悪口をいって歩いた。当然、それは圓朝の耳へもつたわってきた。
 でも。
 小大橋《こたいきょう》で文楽師匠にいわれていたことがあった。決してもう昔のように悲しいとも怨めしいとも、また腹立たしいともおもいはしなかった。
 いつか――いつか分ってくれる。
 それでいいんだ。
 ひたすらそう考えて、自分のおもうところへのみ、馬上まっしぐら[#「まっしぐら」に傍点]にと進んでいった。同時にこうしためげない振舞のできてきた自分にしてくれた文楽師匠の情のほどを、いよいよかたじけないものにおもった。
「いい、圓朝は」
「ほんとに、まず圓朝だね」
 そこでもここでも圓朝の名が、旋風的な圧倒的な人気の中心となって渦巻いてきた。ようやく収入《みいり》がよくなってきた。小遣いも豊富に遣えれば、それでもなおかつ翌月へのこるまとまったものがあるようになってきた。
 余裕《ゆとり》――身にも心にも、生れてはじめてといっていい余裕というものが、ようやく春の日を芽吹く枝々のように生じてきた。いう目が、そこにでてきたのだった。
 すると――。
 まずやってみたい。
 そういう希望のかずかずが、十六むさしの駒のように、あれこれと胸へ浮かび上がってきた。
 ひとつひとつ克明にかなえていったら限《き》りがないが、まず扮《な》り。装《こしら》えだった。
 思うさま派手な、芸人らしい上にも芸人らしい装えがしてみたかった。絢爛な多彩な柳桜《やなぎさくら》をこき交ぜたような立派やかな扮り。
 一にそれがしてみたかった。
 そうしてあれが圓朝かと、路ゆく人から振り向いてみせたかった。譬えれば自分の歩いていったあとの道へは、紅白金銀さまざまの花々が散りしき匂っているような、そうした目も絢な振舞がしたかったのだった、かりにも男と芸人と生れきて一度は。
 すぐさまそれを実行した。
 まず、黒羽二重五つところ紋の紋付をしつらえ、白地へ薄むらさき杏葉牡丹《ぎょうようぼたん》を織りなした一本|独鈷《どっこ》の帯しめた。燃ゆる緋いろの袖裏がチラチラ袖口からは見える趣向にした。群青そのものの長襦袢また瑰麗《かいれい》を極め、これも夕風に煽られるたび、チラと艶《なまめ》かしく覗かるる。とんと[#「とんと」に傍点]花川戸の助六か大口屋暁雨さながらの扮装《いでたち》だった。
 これで堂々と楽屋入りした。少し風邪気味のときなどは黄昏、芝居の頼兼公のような濃紫の鉢巻をして駕籠に揺られ、楽屋口ちかく下り立つと、つき添いの萬朝の背に片手かけて、しずかにしずうかに楽屋に入った。いかさまこれでは往来群衆の目に留まらないわけがない、圓朝が行く圓朝がとえらい評判になってしまった、そうしてまたその晩の客が増えた。
「な、何だいあの姿は」
「とんだ茶番の助六だね」
 さすがにここまでくると、仲間の誰彼がハッキリ後ろ指を指しはじめた。
「いえもうここ[#「ここ」に傍点]へきてるんですよ皆さん」
 中でも自分の脳天へ指をやって師匠圓生は、ここぞとばかり圓朝狂えりといい触らした。
「圓朝さん、お前生涯にいっぺんだけそういう装《な》りがしてみたかったんだろう、生れてから今日日《きょうび》までお前の身の周りは何もかもズーッと真っ黒ずくめだったんだものなあ」
 ある日、しみじみと文楽師匠だけはこういってくれた。
 その通り、まさにその通りだった。何ももう改めていうがことはない。隈《くま》なく心の中を天眼鏡で見透されたような気がした。何てよく分ってくれる人なんだろう、私の心の中のことが。
「分るよく分るよ、俺にゃお前の心持が。やんねえ遠慮なくやんねえ、誰になんの気兼もなく。飽きる迄、やってやってやり通すことだ」
 さらにまたさらにこうも元気をつけてくれた。
 二十六、二十七、二十八歳といよいよ強っ気に圓朝は、心ひとすじ馬車馬のように、思いの路を駆り立てていくことができた。
 いよいよ自分という雪達磨が転がせばころがすほどに大きく大きくなりまさっていった。
 山なす毀誉褒貶《きよほうへん》も何のその、かくて両国|垢離場《こりば》の昼席とて第一流人以外は出演できなかった寄席の昼興行の、それも真打《とり》を勤めることと、圓朝はなったのだった。しかも毎日五百人以上、嘘のような大入りがそこにつづいた。またしても弟子入りを望む者、あとからあとから絶えなかった。あまりのことの嬉しさに何べんも何べんも初代圓生のお寺へいった。そしては墓前に報告をした、おかげで三遊派もこんなに盛り返してまいりました、と。もちろん、昔あれほど気に病んでいたお線香代のほかのお心付けも、もうこのごろでは師匠こんなに頂いてはと寺男が痛み入るほど莫大にやることができるようになっていた。
 まず何もかもこれで――。
 心の底のまた底まで圓朝は、微笑ましいものを感じないわけにはゆかなかった。
 あとは倦《たゆ》まぬ勉強だけだ。
 もっともっと道具噺に、千変万化の工夫を凝らそう、道具や仕掛にいくらかかっても構わないから。いよいよお客様をアッといわせよう。
 固く心にこう誓った。
 そのころ、圓朝贔屓のおんなたちもめっきり周囲に増えてきていた。手紙をよこすもあり、楽屋へ訪ねてくるもあり、中には代地の家まで押し掛けてくるものもあった。
 中で圓朝の心に通うおんながただ一人だけあった。両国垢離場の昼席からは橋ひとつ隔てた柳橋の小糸という妓《おんな》だった。垢離場四年間(それほど連続的にその第一流の寄席は圓朝一人を出演せしめたのだった)の長期出演が、いつしか二人の仲に花咲かせ、実を結ばせるゆくたては[#「ゆくたては」に傍点]となったのだった。
 小糸。
 クッキリした濃い目鼻立ちのくせに陰影《かげ》が深く、顔も姿も寂しさひといろに塗り潰されていた。いつも伏目の、控え勝ちの、ジッと寄辺なく物思いに沈んでいるような風情――一にも二にも圓朝はそこに心を魅かれた。
 むらがる仇花の中へほのぼのと姿を見せている夕顔の花ひとつ。
 
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