そこの寄席、かしこの寄席と掛合って歩いた末が、駒込の炮碌《ほうろく》地蔵前の、ほんのささやかな端席だった。それが初めて圓朝のトリを肯ってくれた。しょせんが師匠がかえってきて喜んで貰うべく報告にいけるほどの結構の寄席じゃなかったけれど、せめても師匠の留守のうち、このくらいのことはこっそりしておいて、よくやったお前といわれたかったのだった。それに初めて招き行燈へ上げた「三遊亭圓朝」の五文字。
薄寒い秋の日暮れ、その寄席の前へ立ってその五文字を眺めたとき圓朝は、鏡の中の我れと我が顔をほれぼれと見入っている思いで、いつ迄もいつ迄もその前を立ち去ることができなかった。
ねがわくば楽屋入りなんか止しにしてしまって、ひと晩中この寄席の前へ立ったまんま、ジーッとこの招き行燈を見守っていたかったくらいだった。
でも……。
「本郷もかねやすまでは江戸の内」とうたわれたそのころ、駒込の炮碌地蔵前ときては場末も場末、楽屋の窓を開けると、裏がすぐ覆いかぶさりそうな竹林で、そのまた向こうがいちめんの畑になっていた。
秋寒い夜風の中で、小止みない竹の葉擦れとともに、狐のなく声が聞こえた。
圓朝はここを先途と喋りまくったけれど、毎晩みすぼらしい装《な》りをした場違いのお客様が、二十か三十くるばかりで、てんでどうにも仕様がなかった。
席亭も止めてくれがしの顔をした。
「この前きてくれた日本手づまの鈴川伝之丞さんのほうがよっぽど入《へえ》ったよ」
楽屋へきて、聞こえよがしにこんなことさえいった。「ざまアみろ」と嗤っているにくい宮志多亭の雷隠居の顔がみえる思いがした。
いたたまれない思いで圓朝は、とうとう十日の約束を五日で止めてしまった。
次は下谷広徳寺前の寄席。
下谷ではあるが、ここらも寂しい寺町はずれの、やっぱりお客の頭数は駒込とさして変らなかった。
三日で止めた、これは。
麻布古河の寄席を打った。
つづいて狸穴《まみあな》を一席、きめた。
どっちも十二、三人なんて晩があった。
「当分、私、休ませて頂きたいと存じます」
戦い利あらずと見てとったのだろう、狸穴の寄席の千秋楽《らく》の晩に、文歌がこういって暇をとっていってしまった。
万事休す矣。
初看板の夢|壊《つい》えて圓朝はガッカリとしてしまった。
ついこの間まで身の周りを包んでいてくれた青空が跡形もなく失せつくして、あべこべに漠々たる暗雲が十重二十重に、前後左右を追っ取り囲んできた。そうしてこの暗雲は三年五年十年かかっても、消えてはゆかない思いがした。ばかりか、日一日と重なり重なってこの自分を、押し潰してしまおうとするもののようにさえ考えられた。
身体中の骨という骨が今に離れてゆく感じだった。
「…………」
母親の顔を見るさえきまり悪く、やけくそに夜寒の井戸端でザブザブ水を浴びると圓朝は、そのまま自分の寝床へ入って、煎餅蒲団を引っかぶり、燻《くゆ》み返って寝てしまった。
……でも。
一夜明けると、不思議に圓朝の心はまた、カラリと雲が切れていた。その切れ目から、薄日ではあるが、僅かにキラリと顔覗かせてくる朝日の光りがあった。
しらないうちにまた活き活きとしたものが、少しずつでも節々に蘇ってきてはいるのだった。
やる。
どうしてもやるぞ。
ヌクッと床の上へ起き直って、別人のごとく圓朝は叫んだ。
五
大晦日ギリギリに中橋の桂文楽師匠のところから使いがきた。文楽師匠はあれから一年ばかり上方へいっていたし、こちらも端席歩きをしたり何かしていて随分掛け違って会わなかった。
何の用事だろう。
とるものもとりあえずでかけてゆくと、
「初席《はつせき》からお前、俺の真打席《しばや》の中入り前を勤めてくんねえ、頼んだぜ」
初席とは元日からの新春《はる》の寄席。相変らずの侠気な革羽織を着てどこかへでかけようとしていた文楽師匠は、めっきり大人びてきた圓朝の細おもての顔を見てニッコリいった。
「…………」
あまりに思いがけないことで、圓朝は口が利けなかった。しばらく目の前の色白の顔をポカンと見ていた。だんだんはち切れるような嬉しさが、あとからあとから擽《くすぐ》ったく身体全体を揺ってきた。
「ア、ありがとうございます」
思わず長い長いお辞儀をしてしまった。
そうして、あら玉の春。
真を打つことは失敗に終ったが、思いがけないこんな福音が転がり込んできたありがたさ。
狐のなく声の聞こえる場末の寄席の真打とは比べものにならないほど反響のあるギッチリ詰まっているお客の前で、思うまんまに腕の振える幸福さ。あかあかと自分の顔を照らす八間《はちけん》の灯《あかり》のいろさえ、一段と花やかなもののあるよう感じられた。
ここぞと腕によりかけて圓朝は喋った。
それには久し振りでしみじみと聴かせて貰った文楽師匠――宮志多亭のときとは段違いに芸が大きく美しく花ひらいていた。
もちろん、あの時分とて決して拙い芸ではなく仇な江戸前の話し口だったが、遠慮なくいわせて貰えるなら、やや線が細過ぎて江戸前は江戸前でも煙草入れとしてのおもしろさというところだった。
それが今度は見違えるほど芸の幅が広く立派になっていた。それには何ともいえない明るいこぼるるばかりの色気というか、愛嬌というか、触らば落ちん風情が馥郁《ふくいく》と滲み溢れてきていた。かてて加えて人情噺でありながら急所々々のほかはことごとく愉しく、明るくまた可笑しく明朗ひといろで塗り潰されていて、そこに少しでも理に積んだものがなかった。
「ウーム」
声を放って感嘆した、圓朝は。
この人に比べるとうち[#「うち」に傍点]の師匠圓生は決して拙い人ではないが、万事が理詰めで陰々と暗い、寂しい。だからどことなく聴いていて肩が凝る。
もし絵の具の色にたとえていうなら、うち[#「うち」に傍点]の師匠のは青か藍だろう。
このごろ一部下司なお客様たちに喜ばれるいたずらに悪騒々しい手合をさしずめ赤とするならば、もちろんその赤ではいけないのだけれど、さりとて青だけでもまた侘びし過ぎる。
そこへいくとこの文楽師匠は赤でなし、青でなし、巧緻に両者を混ぜ合わせた菖蒲《あやめ》、鳶尾《いちはつ》草、杜若《かきつばた》――クッキリと艶《あで》に美しい紫といえよう。
ああ、それにつけてもいと切におもわずにはいられない、下らなく悪騒々しい連中は速やかにうちの師匠のような本格の青さを加えて紫の花香もめでたく。噺に陰影《かげ》を添えることだ。
同時に、噺の筋はたしかだが青ひといろで陰気だと鼻つまみにされている面々は、これまた適当に赤を混ぜることだ。そのとき各々の人たちの芸はそれぞれ皆はじめて画竜点睛、ポッカリと江戸紫の花咲きそめることだろう。
とするとどうだ、この私は。
青――あまりにも青だった。
土台の私自身の「芸」が青のところへ、師匠の青を混ぜ合わしている。だから生来の青は青のままいよいよ深きを加え、あるいは紺となり、あるいは藍となり、あるいはまた萌黄となり、どこ迄いっても要するに陰、陰、陰の連続だった。
いけない、これでは。
いかでかそんなことで、まこと愉しめる「芸」というものが、何生れよう。落語家万事、偐《にせ》紫、江戸紫、古代紫、紫、紫、むらさきのこと――芸の落ちゆく最後のお城、御本丸は、ついに「紫」以外の何物でもない、ないのだ。
こう文楽を聴いていてしみじみと悟った圓朝は、以来話し口を、人物の出し入れを、「噺」全体を、極めて明るく明るくと勤めた。
果してお客の受けがよかった。席亭も大へん喜んでくれるようになった。
二軒、三軒――だんだんいい寄席の、深いところへでて喋れるようになった。
「あの落語家は若いけれど、もの[#「もの」に傍点]になりそうだ」
誰もがこういいだしてきた。人気。自分という一しか値打のないものを選ってたたって傍《はた》が二十、三十にとせり上げていってくれる、何ともいえないありがたいもの。人気というものの幸福感をはじめて圓朝は、身近に知ることができた。
……でもその頃から目に見えて甲州からかえってきていた師匠圓生の受けは悪くなった。逢いにいっても機嫌の悪い顔ばかりしていたし、たまに楽屋で面とむかってもプリプリ怒ってばかりいた。
が、自分としては少しでもでてきたこの頃の人気。師匠に喜んでもらえこそすれ、怒られることなんかした覚えはひとつもなかった。むしろ不思議でならなかった。で、いよいよ精一杯、師匠へ尽した。尽せば尽すほど師匠の機嫌は悪くなった。言葉に針があり、することがなすことが目に見えて意地悪くなり、小言をいうときでも内弟子時分のような、サラリとした小言はいってくれずいたずらに長談義のようなへん[#「へん」に傍点]にネチネチした悪意のうかがわれるお説教ばかり聞かされた。しっかりやれと自分のお盃を差してくれたあの日の師匠の思いやりある面差しなんか、薬にしたくももう見られなかった。
ひとえにそれが寂しかった、圓朝は。
こうしたひょん[#「ひょん」に傍点]なことになっても、前にもいった通りお神さんは、嬢さまの年を老《と》ったというだけのお仁《ひと》だったから何をどう取りなしてくれるでもなかった。師匠の感情は水の高きより低きへ流るるよう下らなく悪化していくばかりだった。僅かにいよいよ上がっていく人気という五色の雲の中へひた隠しに身を隠して、その寂しさを忘れていた、なぜ師匠はいっしょにこの人気を喜んじゃくれないのかしらとしきりにおもいながら。
そのころ七軒町の裏店から、表店へ。
ゴミゴミした裏長屋から、明るい表通りへとでてきたことは、自分の人生もようやく裏から表へとでてきたようでうれしかった。
張り切っていよいよ圓朝は勉強した。
暇さえあると他の噺を、講釈を、猿若町の芝居へさえ、始終《しょっちゅう》でかけてゆくようになった。そうしては自分の芸の明るく色好く「紫」たることをいやが上にも苦労し、工夫し、砕心してやまなかった。
論より証拠、日一日と圓朝の芸が、パーッと明るく派手やかになっていった、たとえればあのお正月の繭玉の枝々のごとく。
よいときにはよいことがつづく。
そこへ永年、音信不通だった父親の橘家圓太郎が、ヒョッコリ旅からかえってきた。
旅から旅の風塵にまみれた圓太郎は、もう昔のようなだらしのない道楽者ではなくなって、見るからに好々爺然たる枯れ桜のような風貌と変っていた。
無人の三遊派では喜び迎えて、圓太郎を、こよなき重宝役者とした。
父の圓太郎と母のおすみを七軒町の新宅へのこして圓朝は、浅草|茅《かや》町の小間物屋の裏へ引き移った。
この間、越した家よりやや小さかったけれど、普請が新しく、裏の窓を開けると、濃い龍胆《りんどう》いろにすみだ川がながれていた。その川面へ、向こう河岸の横網町の藤堂さまの朱い御門が映り、それが鬱金《うこん》いろの春日にキラキラ美しく揺れていた。
絶えず艪声も聞こえてきた。
こうした江戸前のスッキリした眺めも、いよいよ自分も一人前の芸人の仲間入りができるかの瑞兆のような、いいしれぬ喜ばしさを圓朝の胸に滲ませないではおかなかった。一日に何べんも何べんも裏の窓を開けてはフーッと深く呼吸して、水の匂いを一杯に吸い込んだ。
吐きだしてはまた吸い込んだ。
何べんも何べんも繰り返し繰り返し、試みた。
「いやだね、また師匠お株をやってる」
そのたんび呆れて萬朝は、師匠の華奢な肩を叩いた。
いきなりその手をグイと掴んで圓朝は、エイヤッと芝居もどきに投げる真似をした。
「タハッ」
大袈裟にやられたという表情をして萬朝は、ドタリバタンと不器用にとんぼを切った、ひとすじ朱く畳を染めている春日の上へ。顔へ朱いろの縞がみだれた。
「テ。口ほどにもない……」
鷺阪伴内にひと泡吹かせた道行《みちゆき》の勘平のようニッコリ圓朝は、見得を切った。
「…………」
やっぱり花四天のよう、ニュッと雨足上げて転がったままで萬朝はいた。
何ともいえな
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