つづいてそうしたちょっとした心掛ひとつだが、なかなか気の付かない呼吸も教えられた。お湯は熱いかぬるいかの加減を表情に示すだけでよかったが、お茶はさらに舌の上で味わいを吟味してみせる表情が必要。それが両者のちがいだった。
 四季それぞれの水の飲み方。
 寒さ暑さで飲む人への心持もちがうだろうし、息せき切ってきた人の水の飲み方と、酔醒《すいか》の水千両の飲み方ももちろんちがった。
 二階で話している人の声と塀の節穴から呼んでいる人の声。
 二階の話し声はあたかも紙一重隔てているがごとく聞こえなければならなかったし、節穴からの呼び声は火吹竹を口へあてがって喋るごとき、そうした音声に聞こえなければ決して、「真」とはいわれなかったのだった。
 扇を箸に、蕎麦とうどんの挟み分け方も難かしければ、いろいろのたべ物のたべ分け方もまた大へんだった。
 しかも師匠は皮肉でへん[#「へん」に傍点]なものを食べるところばかりを次々と稽古させた。
 まず羊かんはいいとして、長崎土産カステーラを食べてみろといわれたにはハタと困ってしまった。あんな珍しい高いもの、お恥しいがまだ小圓太はろくに食べたことすらなかった。たったいっぺん国芳師匠のところにいたとき到来物があったのを、上戸の師匠が要らないといい、兄弟子たちとひと片《きれ》ずつ頬張ったばかりだった。いまその乏しい体験の手付きや味わい方をにわかに再現しろといわれたところで……。
 中でも一番泣かされたのは鱈昆布《たらこぶ》の汁の吸い方だった。まずフーフーと二度三度お汁を吹き、舌の上で昆布だけ味わい、たべてしまい、鱈は鱈で巧い具合に舌でころがし骨をだし、それを手でこう抜き取っていく、僅かこれだけのことなのだけれど、どうしてもそれが巧い具合にゆかなかった。巧い具合にも何にもてんで[#「てんで」に傍点]型が付かなかった。
「馬鹿野郎、そんなに頬ぺたを膨らがしちまう奴があるか、あれまた、膨ら……そ、それじゃ小僧が団子を頬張ってるところだ。見てろ、俺のやるのをよく」
 再び師匠は右手に扇子で箸を象り、左手の指を少し丸くしてお椀とみせ、フーフーお汁を吹きながら、昆布を、鱈を、鱈の骨を、あるいは食べ、あるいは抜き取るところとじつに如実に見せてくれるのだったが、
「ホレ何でもないじゃないか。サ、やっておみ」
 ド、どういたしまして。「何でもねえ」どころじゃない、オドオド小圓太が演りはじめるとたちまち昆布だか糸ッ屑だか分らなくなったし、鱈も饅頭もいっしょくた[#「いっしょくた」に傍点]になってしまった。いわんや骨を抜く仕草においておや。我ながらこの間抜々々した恰好、白痴《こけ》が虫歯を押さえている手付きにもさながらで、ほとほと自分がいやになってきた。とたんに、
「ダ、駄目だ!」
 その師匠の「ダ、駄目だ!」という声のピシーリ烈しい音のしたのとポーッと自分の右手の暖かく痺れてきてしまったのとがいっしょだった。
 と見るといつの間に握られていたのだろう師匠の手の二尺|指《ざし》が烈しくブルブル慄えていた。そうして、そうして、自分の右の手の甲がこんなにも堆く、紫いろに腫れ上がってしまっていた。間もなくズキズキ痛みだした、いやその痛いの何のって。
 いつ迄もいつ迄もその手の腫れは退かなかった。ばかりか、だんだん腫れ上がってきた、日一日と紫の痣の色濃きを加えてゆくとともに。
 もちろん、痛みも烈しく募った。
「どうおしだえ、お前その手を」
 とうとう母親の目にとまってしまったくらいだった。
「いいえ、いいえあの何でもないんです」
 あわててその手を袂の中へ隠してしまったが、
「辛《つら》い」
 しみじみ心から叫ばないわけにはゆかなかった。
 でも、辛いとて、今更、後へはもう退けなかった、血みどろになって前進するより他にはこの自分は……。
「……」
 心配そうに母親の自分の傍から去っていったあと小圓太は、思わずその腫れた手の甲を瞼へ持っていった。腫れへ、ズキズキと涙が染みた。

「あしたの朝、暗いうちに稽古においで」
 ある日、師匠がこういいだした。
 湯島を夜中に起きだして、はるばる四谷まで。暮春とはいい、まだ夜夜中《よるよなか》は寒かった。暁方、師匠のところへ辿り着くころには一段とだった。向こうへ着くとまだ師匠夫婦は寝ていた。おしのどんとてようやく床をでたばかりのところだった。
「小圓太さん、あのお師匠さんがお前さんがみえたらね、表のお庭の方を掃除してておくんなさいって」
 寝ぼけ眼でおしのどんはいった。
「ヘイ承知……」
 凍《かじか》む手に竹箒を。
 すぐ表庭の掃除にかかった。
 春曙の薄桃いろの薄紫の濃緑の水浅黄の橙いろのいろいろさまざまの彩雲《いろぐも》が、美しく頭上の空いっぱいに棚引き、今をさかりの花蘇枋《はなすおう》や粉米桜《こごめざくら》や連翹《れんぎょう》や金雀枝《えにしだ》や辛夷《こぶし》や白木蓮の枝々を透してキラキラ朝日がかがやきそめてきていた。有耶無耶《あるかなきか》に流れてくるなんともいえない花の匂い。
「……」
 大きく息を吸いながら小圓太は無心に竹箒の先を動かしていた。
 ポチャンと水の音がした。と見るとすぐ目の前の五色の雲を映している青澄んだ池のおもてに、緋鯉が跳ねたのだろう大きな渦巻が重なり合ってはみだれていた。いつか母屋からよほど離れたこんな池のふちのところまで掃き寄せてきていたのだった。
「サ、もうひと息、池の向こうを掃きや……」
 尚もせわしなく竹箒を動かしはじめようとしたとき、
 アツ、だしぬけにドーンと腰の番《つが》を突かれた。そういってもべら棒に烈しく突き飛ばされた。フラフラフラと身体の中心を失い思わず前へのめっていったときツルリ小圓太右足を踏み滑らした。
「ア、アーッ」
 もうどうすることとてできなかった。彩雲《いろぐも》ただよっている水のおもてが、たちまち大きく自分の目の中へ入ってきた。とおもう間にツツツツツ、ドブーン。雲掻きみだして青い池の真っ只中をアプアプ小圓太は泳いでいた。
「イ、いけない」
 プーッと泥臭い水を吐きだすと、ようやくのことで竹箒片手に池から這い上がってきた。一帳羅の黒紋付が見るかげもなくぐしょぐしょ[#「ぐしょぐしょ」に傍点]だった。ポタポタ青っぽい雫が落ちてきてきんぽうげ咲く草原を濡らした(ウルル、寒い)。
「アッハッハッハ」
 にわかに聞き覚えのある大きな笑い声が、耳もとで起ってきた。
 ギョッと見上げると師匠だった。暖かそうな黄八丈の丹前を着た師匠の圓生が、朱いろの日の中に朝酒で染めた頬をかがやかして、さも面白そうに笑って佇《た》っていた。
「い、いや[#「いや」に傍点]ですよ師匠冗談なすっちゃ」
 怒りもやれず小圓太はいった。
「冗談はしねえ、本気にやった」
 もう一度師匠は哄笑《たかわら》った。
「冗、冗……」
 さすがに口を尖らかして、
「いやんなっちまうなほんとに師匠。こんなことよか早く稽古のほうをやっておくんなさいよ」
 こう頼んだとき、
「すんだよもう」
 キッパリ師匠はいい放った。
「エ」
 思わず小圓太は訊き返した。
「すんだんだというんだよ、だから」
 また同じことを師匠はいった。
「何がすんだんですよ師匠」
 どうしても答の意味が分らなかった小圓太だった。
「だからもうこれでお前の稽古はすんだ、すんでしまったとこういうんだよ」
 再びキッパリといい放った。
「す、すんだ? あの、お稽古が」
 小圓太は自分の耳を疑った。思わず澄んだ目をクリクリさせた。
「だってお前ようく考えてみな」
 ニンマリと師匠は笑って、
「お前、今朝早く暗いうちから歩いてきて眠かったろう」
「ヘイ」
 言下に、肯いた。
「寒かったろう、まだ表は」
「ヘイ」
 また肯いた。
「そして随分辛いともおもったろう」
「ヘイ」
 三たび肯いた。
「その揚句にいま俺に突き飛ばされて池へ落っこちて、随分アッとおどろいたろう」
「……」
 今度は黙って肯いた。
「それ眠い、寒い、辛い、それからアッと驚いたときと、つまりそういうときの呼吸の修業をいまのこらずお前は俺にやって貰ったんだ。こののち噺の中へでてくる人物が眠がるとき、寒がるとき、辛がるとき、アッと驚くとき、みんないまのこの呼吸を忘れないでやるんだぞ」
 もういっぺんまたニンマリと笑って、
「分ったか、おい小圓太」
 さらに烈しく、
「なあ分ったか、オイ分ってくれ」
「分り、分りました」
 ああなるほど、そうだったのか、師匠のこのけさの心持は――。寒さも忘れて濡れ鼠のまま小圓太はお辞儀をした、またポタリポタリ雫が群がるきんぽうげの中へと落ちた。
「ウム」
 満足そうに肯いて師匠は、
「分ったらいい。早くおしのに着物を乾かして貰って帰れ」
 飲み残しのおしきせ[#「おしきせ」に傍点]でもまた傾けるのだろう、そのままスタスタ踵を返して母屋のほうへ取って返していってしまった。

 中一日おいて呼び付けられたときには、縁側へ坐って師匠は集まってくる雀にしきりに米粒をばら[#「ばら」に傍点]撒いてやっていた。
 一羽の雀が食べ飽きて近くの木の枝へ、また別の一羽がまた食べ飽きてさらに一段と高い木の枝へ、もうひとつまた別の一羽はさらにさらに高い梢へ飛んで行くと、そのたんび師匠は、
「ホレ……ホレ……ホーレ」
 とそのたんびその雀の行くほうへ行くほうへとことさらに目で追って見せた。そうして、
「もうこれできょうのお稽古はすんだよ」
 とまたニヤリ笑った。
 地面からやや高いところへ、やや高いところからさらに高いところへ、さらに高いところから一番高いところまで、三段に雀の行方を追う圓生の目のつかい方は、それぞれそのたんびに位置や高低がちがっていた。話中幾人かの人物の位置の移動を、眼《がん》の配りたったひとつで如実に表さなければならない「噺」の世界では、かかって「芸」の活殺《かっさつ》如何はこうした目の動かし方ひとつにあり。すなわちいまその奥秘の種明かしをば、親しく師匠はして見せてくれたのだった。

「ウームそうか、そうだったのか」
 その日。感激で満身を慄わせながら小圓太は、四谷から振出しの神田三河町の千代鶴という寄席まで独り言《ご》ちながら歩いていった。どこをどうどんな風に歩いていったか分らなかった。それほどことごとく興奮していた。
「そうか、そうなのか、始めて……始めて……ウーム、そうか」
 そんな風な何ともつかない独り言を洩らしてはニヤニヤ笑いだしたり、口をへの字に曲げたりしてはまたブツブツ呟きながら、夢中で歩きつづけていった。
「オ、キ印だ」
「まだ若えのに可哀想に――」
 そういって何べんすれ違う人たちに嗤われ、後ろ指さされたことだろう、でもてんで[#「てんで」に傍点]そんなこといまの小圓太の耳には入らなかったのだった。
 ひたすら、夢中で歩いていた、歩きつづけていた。
 これが修業というものか。
 ほんとうの修業というものなのかこれが。
 噺はただ単に喋れるばかりでいいというのじゃない、こうしたいろいろさまざまの困難に耐えてゆく、そしてそれをいちいち噺の中の人物の了見方の上へと移し替えていく。
 それが――それがほんとの修業というものではあったのか。
 とすると、ああ俺何てこッたろう。あの時分あんなに怨んじゃいけなかったんだうちの師匠を。ホレあの入門以来、ろくすっぽ[#「ろくすっぽ」に傍点]稽古もして下さらなければ、前座にすら使っておくんなさらなかったといってさんざ腹を立てたり嘆いたりしたけれど、いってみればあれも、圓太郎の忰でございと永年楽屋勤めをしてきたこの俺を、いろはのいの字から叩き直してやろうてえ思し召しだったのか。そういえばそば[#「そば」に傍点]やおでんを見せ付けては食べさしておくんなさらなかったということも……。
 今更、師匠の底知れぬ心づくしのほどがあとからあとからあぶりだし玩具にあらわるる絵のごとくマザマザと眼先に描かれてきた。何ともいえず恥しかった。
 知らねえで、つゆ[#「つゆ」に傍点]い
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