れば、暗い本堂のほうには微かに寒々とした燈火《ともしび》のいろが動いている。それが破れ障子へ、ションボリ狐いろの光りを投げかけている。
 ……いまのいま瞼に浮かんだ父圓太郎の頬照らす吹抜亭の高座の灯のいろとは似ても似つかぬ侘びしさだった。
 ボーン……ボーン……。
 どこか、ほかのお寺からだろう、梵鐘の音が闇を慄わして伝わってきた。いおうならこの鐘の音いろも、芝居噺のせりふのとき新内流しの合方にまじって楽屋で鳴らされる銅鑼の音とは比べものにもならないほど野暮でつまらなかった。第一、いってみればそこには活きた人間の情や心持というものを滲ませている何物もなかった。てんで[#「てんで」に傍点]次郎吉には必要のなさ過ぎる冷静で峻厳な世界の「音」ばかり「声」ばかりだった。
「……けッ……」
 ただ「けッ」とのみいいたかった、ほんとうにいま次郎吉は。


     二

 いつ迄、暗闇の中に愚図々々してもいられないので渋々庫裏のほうへ取ってかえすと、ちょうど庭下駄を突っかけて義兄《あに》の玄正が自分を探しにでようとしているところだった。薄ら明りの中に半面|影隈《かげやま》取られて冷たく浮き出してい
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