十越したとはおもわれない元気な手つきで手早く診察をおえてしまうと桐庵は、国芳のほうへ目配せした。フラフラ立ち上がって国芳は桐庵と仕事場のほうへでていったが、すぐまた二人してかえってくると、
「じゃ先生、何でもお前さん、あけりゃんこ[#「あけりゃんこ」に傍点]のところをこの人たちにいってやっておくんなせえ、私《あっし》ァちょいと他行だ」
親指と人指指とを丸めて猪口の形をこしらえ、ニヤリ口のところへ持っていって見せると熟柿臭い呼吸を吐きちらしながら国芳、芳年芳幾の二人を促がしてまたフラフラとでていってしまった。
あとへは桐庵先生を枕許に、圓太郎夫婦と玄正とがのこされているばかりだった。
……駄目だというのかな、こりゃことによると。
そう、きっとそれにちがいない。
でなければこんな自分たちだけをのこして、さっさと国芳お師匠《しょ》さんが引き取ってっておしまいなさるわけがない。
一瞬間誰もの胸をスーッと外《よ》ぎってゆく暗い冷たいものがあった。そういっても重苦しいものでいっぱいに皆の胸がしめつけられてきた。それには薄暗いこの部屋の鼻をつく絵の具の匂いが屍臭をおもわせて不吉だった。
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