え」
何ともいえない郷愁に似たものがヒシヒシ十重二十重《とえはたえ》に自分の心の周りを取り巻いてきた。ポトリ涙が目のふちに光った。
と、見る間にあとからあとから大粒の涙はポトポトポトポト溢れてきた。
頬へ、条《すじ》して光って流れた。
「……俺、俺……」
とうとう次郎吉は洗いざらしたつんつるてん[#「つんつるてん」に傍点]の紺絣《こんがすり》の袖を目へ押し当てて、ヒイヒイヒイヒイ泣きじゃくりだした。
……そのころ日暮らしの里と呼ばれた日暮里はずれ、南泉寺という古寺の庭。
次郎吉は始めにもいったよう、芸名、小圓太。
音曲噺《おんぎょくばなし》の上手、橘家圓太郎の忰として七つの年に初高座の、それから十四の今年まで、しょせんが好きで遊び半分の出たり出なかったりの勝手勤めではあったけれど、とにかく、正味五年にはなる高座暮らしをしてきたのだった。
それがなんと晴天の霹靂《へきれき》。
二、三日前、急に高座から引き摺り下ろされて、繁華な湯島切通しの自宅から場末も場末、こんな狐狸の棲む日暮里の南泉寺なんて荒寺の小僧にされてしまったのだ。
この寺の役僧をしている腹違いの兄玄正が闇雲
前へ
次へ
全268ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング