み方のいろはのいの字を、昨日、教わり立てのホヤホヤだった。
 冷え冷えとした匂いのする店の間へきて小さな槌を取り上げると次郎吉は、土間にころがっている手ごろな石の破片《かけら》を膝に、カチカチカチンとでたらめに刻みだした。もちろん、おもうようにはゆくわけがない、自分でこれが自分の手かと疑えるほどまるでいうことをきかなかった。そういっても下らなくなるほど、槌握った手が不器用にひとつところばかりをどうどうめぐりしていた。
 カチカチカチン。
 カチカチカチカチン。
 でもしばらく繰り返してやっているうち、だんだんその槌打つ拍子にある種の調子が加わりだした。
 カチ、カカカカ、カチン。
 カ、カ、カ、カチン。
 カチカチカチカチン……。
 しかも、それは何か、どこかでたしかにいくたびか聞いたことのある、節面白い調子だった。
 カ、カ、カ、カ、カチン。
 カチカチカチンチン……ときた。
 さらに何べんも繰り返しているうち、
 ア、アー、そうか――
 はじめて次郎吉は肯いた。破顔一笑せずにはいられなかった。
 広小路の本牧亭《ほんもくてい》や神田の小柳や今川橋の染川で、親爺に連れていって貰って聴
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