い、師匠、仇《かたき》の家へきたって……」
「口ぐらいは濡らせってのか、分った分った、濡らすよ濡らすよ、じゃ早く濡らしてくれ」
文楽は笑った。
「ヘイお師匠《しょ》さん」
そのときお茶を持ってきた萬朝が、
「濡れぬ先こそ露をもいとえ、で」
「ちがってやがら、いちいちいうことが。そ、そんなことアそんなところへつかう文句じゃねえや」
呆れて文楽はまたふきだしてしまった。荒い棒縞の外出着に着替えながらいつか圓朝も昨夜からのくさくさとしたものを忘れて高らかにアハアハ笑いだしていた。
「止めようとおもってたんだろお前、もう落語家を」
美味いもの屋で通っている両国の小大橋《こたいきょう》の表はよく日が当っているのに、八間《はちけん》の灯でもほしいほど薄暗い一番奥の腰掛けで、ふた品三品並べて盃のやりとりしながらややしばらくしたとき、急に文楽はこういいだした。酔で赤くした笑顔の中に、ハッキリ真剣のいろが動いていた。
黙ってコクリと圓朝は肯いた。その通りだった、ほんとうに。弟子には裏切られ、日に夜におもって止まない師匠からは袖にされ、ホトホト圓朝はきょう落語家稼業というものがいや[#「いや」
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