しく抱きしめながら。
「……」
 黙って首を振った。苦しそうな、とぎれとぎれの声でいった。
「だ、だってお前、お前に煮湯を飲ませた圓太なんかを引き立てて……そのまた圓太に面目ないよ、この私が……私が煮湯を飲まされて……子罰《こばち》が、弟子罰《でしばち》が当ったんだお前という。ごめん、ほんとうにお前、ごめん……」
「お止し……お止しなさいってば、ねえ師匠。いやだいやだ師匠そんなことおっしゃっちゃ。詫《あやま》ったりされちゃ私は悲しい。かえって悲しい。師匠師匠、ねえ師匠……昔のやっぱり昔のやかましい師匠にかえっておくんなさい、どうかお願いだ、ねえ師匠お願いなんです」
 取りすがったまんまでいる師匠の身体を何べんも揺った、オイオイ声立てて泣きつづけながら。
 と見ると師匠も泣いていた。大きな鼻の周りへ、キラリ条《すじ》引いた涙を光らして。いつか庭から上がってきていた圓太郎までが、そこの畳へうつ伏せに、貰い泣きしていた。
「ねえねえ師匠」
 やがて涙の顔を袖で拭うと、やっと己を取り戻した圓朝がやさしい笑顔を見せて、
「お願いです元気になって。もういっぺん元気になって三遊派のために働いて下さい。おかげで圓朝、いいえもうみんな師匠のおかげです、ほんとにおかげで弟子もたくさん増えてきました、今度こそ……師匠も許しておくんなすったし、ねえもういっぺん元気で働いて下さい、圓生圓朝親子いっしょに今度こそほんとに働きたいんです」
 こういって骨だらけの師匠の手を触りあて、満身の力を、心を含めて握った。握りしめた。微かだけれど握り返してくる師匠の力が感じられた。それだけでもう何もかも満足。五輪五体のことごとくが、惜しみなく清い涙で洗われていくものをおぼえた。
「じゃ師匠、ほんとにくれぐれも力を落とさないで養生をして……。ねえ頼みますよ早く元気になって下さいよ。いまかえったらすぐうちの若い者を二人ばかり手伝いに寄越しますし、私もまた明日《あした》にでもやってきますからね。じゃ師匠お大事に。あの、うちの若い奴がきたら構わず何でも婆やさんからいいつけて貰ってうんと働かせて下さいよ」
 もう一度、また名残りは尽きじという風にしげしげと、またしても涙で一杯の師匠の顔を見守って、やっとそれからその場をあとにした、まだ手拭で涙拭き拭き後くっ[#「くっ」に傍点]付いてくる圓太郎といっしょに。
 苦しそうに寝返り打って起き直ろうとした圓生が自分の枕許に「お師匠さまへ、圓朝」としたためた紙包みの中、その頃のお金にして大枚五十金包まれていたことを発見して、廻らぬ舌で騒ぎ立てたのは、それからふた刻あまり後のことだった。


     五

 ……そのころもう圓朝は代地の小糸のところへ戻って、ひとッ風呂汗を流し、二階の小座敷で暑気払いのなおし[#「なおし」に傍点]をチビリチビリと傾けていた、すぐ自宅に遊んでいる若い者二人を四谷の師匠のところへ泊りがけで手伝いにやっておいて。
「それにしてもきょうほど私はねえ、小糸」
 うれしそうにコップのなおしをひと口啜って圓朝は、また下へ置いた。
「……」
 黙って肯いた。しみじみとした黒い眸にも隠し切れない歓びのいろがかがやいていた。またしても嬉しいときには嬉しいことがつづく、あの昔雷隠居に高座から引き摺り下ろされ、泣いて口惜しがった赤坂一つ木の寄席宮志多亭からきょう留守中に、七月下席、即ち書入れのお盆の真打を頼んできていたのだった。あの晩、空っ風に吹かれたまま、いつまでもいつまでも去りやらず睨んでいた招き行燈の中へ、今こそ「三遊亭圓朝」の五文字を筆に書き入れさせるときがきた、そうしてあかあかとその字を灯の中へ浮きださせてやるときが――。
「ねえ不思議じゃないか、ひとつひとつ引道具のようにいやなことが消えてなくなっていく。そしちゃ、一段一段とそのたんび私の看板がせり出しのように上がっていく。いよいよたくさん勉強しなけりゃいけないのはもちろんだけれど、それにしてもいいのかなあこれで、ほんとうにいいのかなあ私ァこれで」
 うれしそうに辺りをぐるぐる見廻しながらまたコップを。そのあと華奢な象牙の箸でギヤマンの大鉢の中の銀のような鱸《すずき》の洗いのひと切れを、さも美味しそうに口へ運んだ。
「……」
 やっぱり小糸は肯いた、月の出のように顔全体をかがやかすことによってのみ、ひたすら、心の喜びのたけをあらわして。
「で、ねえ……」
 しばらくほれぼれと圓朝は寂しい美しい目の前の顔を見守っていたが、
「やる、とにかく、やる、手一杯ひろげられるだけこの手を大きくひろげて、もっと派手に、もっと華やかに私は売ってみせる。仲間の悪口なんか、もう耳にたこ[#「たこ」に傍点]でてんで[#「てんで」に傍点]気になんかならなくなってしまったんだ」
 薄青いなおし[
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