多くのお客がその寄席へ呼ばれた。いよいよ打倒派、躍気とならずにはいられなかった。
ちょうどそのころ。春風亭柳枝が、若き圓朝に一大痛棒を加えんとした場面が、「圓朝花火」というかつての私(注・筆者)の短篇小説に叙されているから、勝手ながら左へその一部を抄《ぬきがき》させて貰おう。
――スルスルスルと蛇のようにあがっていった朱い尾が、かっと光りを強めたかとおもうと、ドーン、忽ち大空一ぱいに、枝垂柳《しだれやなぎ》のごとく花開いた、つづいて反対の方角から打ち揚げられたは真っ赤な真っ赤な硝子玉《びいどろだま》で、枝珊瑚珠のいろに散らばる、やがて黄色い虹に似たのが、また紅い星が、碧い玉が。
「玉屋」「鍵屋」
そのたび両国橋上では、数万《すまん》の人声が喚き立てた。
まずこうした両国川開きの情景からこの拙作短篇は始められていたのであるが、その晩珍しく内気で引っ込み思案の小糸が清水《きよみず》の舞台から飛び下りた積りで晴れがましくも圓朝とただ二人、花火見物の屋根船と洒落込んだ。
然るにそうしたせっかくの千載一遇の歓会なのに、とかく、圓朝はふさぎ込んでばかりいる、何話し掛けても生返事ばかり、男の意《こころ》が読めなくて思わず小糸が焦《じ》れて涙ぐみかけたとき、
「しっ、しずかにおし、お前さんに怒っているんじゃない。見な向こうの船にゃ敵薬がいらあな」
はじめてこういって圓朝、小糸をたしなめたのだった。
筋向こうの屋根船には当時の落語家番付で勧進元の貫禄を示している初代春風亭柳枝が、でっぷりとした赦《あか》ら顔を提灯の灯でよけい真っ赤に光らせながら門人の柳條、柳橘を従え、苦が苦がしくこちらを見守っていた。
元は旗本の次男坊で神道に帰依したといわれる柳枝は自作自演の名人で、中には「おせつ徳三郎」や「居残り佐平次」のような艶っぽい噺もこしらえたが、根が神学の体験を土台に創った「神学義龍」や「神道茶碗」のほうを得意とするだけあって頑固一徹の爺さんだった。したがって圓朝が時世本位に目先を変えてはでっち上げる芝居噺のけばけばしさを、心から柳枝は軽蔑していた。
(落語家は落語家らしく、扇一本舌三寸で芝居をせずば、ほんとうの芝居噺の味も値打もあったもんじゃねえや。
それがあの圓朝ときたら、どうだ。
長唄のお囃子を七人も雇いやがって、居どころ変りで引き抜いてとんぼ[#「とんぼ」に傍点]は切る、客席へ掘り抜き井戸を仕掛けてその本水で立廻りはしやがる。
まるで切支丹伴天連じゃねえか)
いつもこういって罵っていた。
(それもいいや。
それもいいが、揚句に芝居の仙台様がお脳気《のうけ》を患いやしめえし、紫の鉢巻をダラリと垂らして、弟子の肩へ掴まって、しゃなりしゃなりと楽屋入りをしやがるたあ何てえチョボ一だ。
そんなにまでして人気が取りてえという了見方が情けねえじゃねえか。
しょせんが芸人の子は芸人だ。
親代々の芸人は根性からして卑しいや)
こうもまた罵っていた、圓朝の父圓太郎とて遠い昔はかりにも帯刀であったものを。
……こうした悪口は、もちろん、圓朝の耳へも響いてきた。
けれども何といっても相手は江戸一番の落語家、長いものには巻かれろとジッと歯を喰いしばっていたのであるが、今宵はしなくも惚れたお糸と花火見物の船の中で、その大敵の柳枝と水を隔てて真っ正面に対面してしまった、お糸は何知る由とてなかったが、早くから圓朝気づいていたのでまだ三十にはひとつ間のある血気な身の、しきりに最前から一戦挑みかけたい闘争意識が火のように全身に疼いてきてならないのだった、が、そうした事情をこれまた知る由もない船頭衆は押し合いへし合う背後の船を避けようため、かえって圓朝の屋根船を、問題の船のすぐ前方へと、グイとひと梶すすめてしまった。
「ねえ師匠。どっかのお天気野郎が御大層な首抜きの縮緬浴衣を見せびらかしにきていやすぜ」
聞こえよがしのお追従を、一番弟子の柳條がいった。
「……」
突嗟に圓朝はムカッとしたが、強いて聞こえないような振りをしていると、
「へっ、一帳羅の縮緬浴衣を着ちらして、水でもはねたらどうする気でしょう。縮緬という奴は水にあてて縮んだら、明日の晩から高座へ着て出るわけにはいきやせんからなあ」
今度はもうひとりの柳橘がいうなり、カッと舟べりへ、さも汚いものでも見たあとのように唾を吐いた。
ベッ、ベッ。何べんも何べんも吐きちらした。
そうして、いつ迄も止めなかった。
たちまち圓朝はカーッとなった。グ、グ、グ、グと身体中の血汐が煮えくり返るような気がしてきて、
「コ、こんな浴衣は二十が三十でも俺ンところにはお仕着同様転がってらあ、なあ、なあ、お糸」
いつになくこんな鉄火にいい放ったかとおもうとにわかに立ち上がって舟べりへ片足かけ
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