《うし》ろ幕が落ち、野遠見《のとおみ》となり、すこんからんと見得を切ったがそのまた型の悪さ。「音羽屋」と声かける客さえなかった。シーンと下らなく客席は燻《くゆ》み返ってしまっていた。
みるから危なっかしいその手つきに、いまにも段取りを間違えドジを踏みはしないかと圓朝、今尚自分の弟子であるかのよう。いつか真剣にハラハラしだした。いっそう眉がしかめられた。だから、やがてどうやら落が付き、今晩これぎりと打ちだしたとき、うそもかくしもなくホッと圓朝は呼吸《いき》をついたくらいだった。
と見ると、辺りのお客様ははじめ八分がらみいた者がもう二十人そこそことなっていた。
「師匠が楽屋で呼んでますから」
表へでたとき、このごろ弟子入りしたのだろう十三、四になる筒っぽを着た顔見知りのない前座がやってきて、切口上にいった。
ふと暗いいやな予感がした。でも振り切ってかえったらいっそういけないだろう。思い切って圓朝は萬朝を表へ待たせ、前座の後からつづいて楽屋へ入っていった。
狭い楽屋のとっつき[#「とっつき」に傍点]に、大風《おおふう》な顔をして腕を組み、圓太がいた。圓朝の顔を見て、ニコリともしないで顎をしゃくった。
「…………」
ぐ、ぐと胸へこみ上げてくるものがあったが、ジッと耐えた。軽く会釈をして上がった。
正面に師匠が、席亭からだされたのだろう、沙魚《はぜ》の佃煮か何かでチビチビやりながら真っ赤に苦り切った顔を染めていた。二ヶ月ほど会わないうちにまた少し白髪が増えたようだったが、絶えて久しい大きな鼻が、しみじみ圓朝はなつかしかった。
「圓朝、おい」
手を仕える間もなく、鋭い声が浴びせられてきた。
「おい、ねえおい、おい、何だってお前、これ[#「これ」に傍点]の噺を邪魔ァする。大きな声で笑ったり何か、それじゃわざわざ客を立たせにやってきたようなもンじゃねえか」
「未熟じゃあるが、俺が許して三遊亭圓太を襲がせたんだ。襲がせるからには襲がせるだけの魂胆があってしたことだ。何だってそれをお前邪魔する」
「…………」
「俺はこいつが可愛い。可愛いんだ。そのこいつの真打《しばい》を邪魔立てするのはお前、俺に楯突こうてのも同じだぞ」
あとからあとから矢継早に、おもいもかけないことをいいだされてきて、全く圓朝は途方に暮れてしまった。
もちろん笑ったのはたしかにこっちが悪いけれど、何も圓太の噺を笑ったわけじゃない、萬朝がとんちんかん[#「とんちんかん」に傍点]なことをいいだしたからだった。でもこう畳みかけて責め立ててこられちゃ、いい説くすべ[#「すべ」に傍点]がなかった。ただ困って頭ばかり下げていた。
「おい、今こそいってやる」
このときいっそう師匠は笠にかかってきて、
「お前が常日ごろ俺のことどんなこといって歩いているか、皆、俺こいつから聞いて知っちまった、おい圓朝どうだ、悪いことは出来ねえもんだろう。山と山とは出合わぬが人と人とは出会うもの、世の中の廻り合わせはいつどうなるか分らねえ。壁に耳あり徳利に口だぞ」
「…………」
何をどう小勇の圓太がいったかしらないが、天地の神も照覧あれ、いつまあ私が師匠の悪口なんかこれっぱかしでもいったことだろう。
ほんとうにこればっかりは浄瑠璃の鏡に照らされたって露いささかも身に後ろ暗いことはない。この何年か四谷の師匠のほうへは足も向けては寝ないくらいのこの自分じゃないか、それを、それを、圓太も圓太なら師匠も師匠だ、何ぼ何だってあまりなことを。思わず開き直っていおうとしたが、まあ待て師匠は酔っておいでなさる、口惜しき胸を撫でさすって圓朝は再び下向いてしまった。
「まあまあ、まあいい」
あざ笑うように師匠はいって、
「蔭じゃ公方様の悪口だっていうんだ。しかしこの後もあることだ。あまり俺の前と後と、手の裏返したようなことだけはいってくれるなよ。おい圓朝おい、分ったか」
一段と声を険しく高くしてきて、
「おい、分ったかったら」
「わ、分りました、あいすみません」
低い低い声でいった。そうしてさらに頭を下げた。下げたその頭が慄えていた、あまりのことの口惜しさに。
「分ったら書け、今夜の詫状を。ええ、俺宛てにじゃねえ圓太宛てに、だ。それ圓太、そこの硯箱《あたりばこ》と紙と持ってきてやれ」
さも快そうに師匠はいった。
有無なくその場で圓朝は、先方のいう通りの文句で詫状を認めさせられた。どれほどそれを書く手のまた、憤《おそ》ろしく慄えて止まなかったことだろう。
「サ、書いたらそれでいい。お前の生《なま》っ白《ちろ》い面《つら》なんか見ていたくもねえんだ。帰れ帰れ早く」
次のお銚子をニッコリ圓太に命じながら、その笑顔をすぐまた百眼《ひゃくまなこ》のよう、不機嫌千万なものに圓朝のほうへ戻して、
「オイ、
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