ありがたくそのお酒をいただきながら小圓太は、あわてて手を振った。
「いや、ほんとほんとうだよ。そのうち、お前を真打にしよう。じつはもう二、三軒、さる席へ口をかけているんだ」
いかにも可愛いもののようにジーッと悧巧そうな小圓太の顔をみつめて、
「二つ返事で席亭も承知をするにちがいないよ、お前の腕なら」
「…………」
真打に、いよいよこの私が真打に。嬉しさに小圓太は口も利けなかった。
思わず師匠へ返す盃がガタガタ慄えた。
が、十五日、ひと月と経って、小圓太真打昇進の話は一向に進んでこなかった。
圓生はひとりヤキモキした。
あんなに巧くなっているものを。
自らほうぼうの席亭へ出向いていって、菓子折など差し出し、懇々と頼んだが、
「ハイハイ分りました、恐れ入ります」
とか、
「ハイハイいずれそのうち時期を見まして」
とか、みんながみんな判で押したように煮え切らない返事をするばかりだった。そうしてどこの寄席でもとりあえず菓子折の礼には翌月小圓太を二つ目として宵の浅いところへ、また師匠の圓生には中入りを、せいぜいこれだけの返礼しか報いられなかった。
「バ、馬鹿にしてやがる」
不平で不平で圓生はたまらなかった。
「オイ何だってうち[#「うち」に傍点]の小圓太、真打にしてやってくれないんだ」
とうとうある晩、やってきた杉大門の主人をつかまえて、初松魚《はつがつお》の銀作りを肴に冷酒やりながら猫足の膳を挟んで圓生はいいだした。
「冗談いうねえ師匠。なぜ三つ目にしねえてえなら如何ようとも御相談に乗りましょう。だが、いきなり二つ目から真打へ。そんな品川の次がすぐ大井川だなんて飛双六じゃ、てんきり話にならねえね」
酒焼けのした顔の刀痕を動かして杉大門は鼻で笑った。
「そ、そりゃ分る。そりゃもっともだ」
「ならお前、そんな無理を承知の話を……」
「しかし、しかしだ杉大門」
「しかし[#「しかし」に傍点]も西もねえ」
「まあさ聞いてくれひと言だけ。というのがあいつ、お前さんも知ってのきのうきょうの二つ目じゃない、親父の圓太郎のところで我流じゃあるが七つから十四まで、多少とも高座のお湯の味も知っている。そいつが二年ばかり廃めてて返り咲き、今度はみっちり[#「みっちり」に傍点]この俺が仕込んだんだ、出来星の二つ目とは違うってこと、俺の自惚《うぬぼれ》じゃないはずだ」
「だから、だからこそお前さん三つ目に」
「いやそいつァいけねえ」
烈しく首を振って、
「だから……とこっちのほうがいいたい、だからこそ何とかそこをひとつ真打に」
いいながら圓生、高座で使いそうな大きな湯呑みへ、なみなみと冷酒を、ヌーッと杉大門の方へ差しつけてきた。
「ウム」
受け取ってググググと息も吐かずに呑み干し、すぐまた圓生のほうへ返すと、ウーイとひとつげっぷ[#「ひとつげっぷ」に傍点]をしたが、
「じゃいおう、俺もいおう」
「ウム聞こう」
微笑んで圓生、ひと膝乗りだした。
「聞いてくれ三遊亭。そりゃ巧え小圓太は。お前のいう通り、たしかに筋もいい、調子もいい、眼《がん》もきく、人間も決して馬鹿じゃない。どうしてなかなかの大したものだ」
「ならお前ひとつ」
宝の山に入りながらというようないかにも惜しそうな顔を、圓生はしてみせたが、
「どっこい、それが」
「ウム」
ニヤリ杉大門は上目して、
「せっかくだけれどね、まだどうも」
「ド、ドどうして、どうしてよ」
躙《にじ》り寄るように、圓生はしてきた。
「似てるからよ」
ややしばらくいおうかいうまいかためらっていた杉大門が、やがて思い定めたようにズケリといった。
「な、何」
「似てるからだよ」
重ねていった。
「ダ、誰に」
「お前さんに、よ。いやさ三遊亭圓生師匠によ」
ワザと芝居がかりにいって、
「師匠に似てちゃ、いや、弟子と師匠だ多少は似てるのもいいが、ああ似過ぎてちゃ芝居にならねえ、こちとらにしても全くの話が汁粉のあとにまた汁粉はいらねえ、せめてあべ川か餡ころくらいなら何とかお客様に我慢もして頂くが、お前さんと小圓太とじゃ似たりや似たり汁粉二杯。とすると何といっても、こっちとしちゃ年期のかかってるお前さんだけ、つまり美味《うめ》え汁粉のほうだけでたくさんだってこういう次第になってくる」
「…………」
理の当然に一瞬、グッと鼻白んだようだったが、
「でも…………でもいや、いや俺はそうはおもわないな」
不愉快そうに大きい鼻へ皺を寄せて、
「ねえ杉大門、おい俺はおもわない、おもいませんよ」
あくまで横に車を押してきた。
「じゃどうおもうんだ、三遊亭は」
「師匠に似過ぎてても巧いものは巧い、汁粉が二杯つづいてもちゃんと立派に真打にしてやれるとおもうんだ」
理屈にも何にもなっていないことをいい張って、
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