神さんにもすすめていっしょに読ませているらしく、昼の食事を運んでいくと机の上にひろげられた一冊の本へ夫婦が鴛鴦《えんおう》のように肩を並べて睦じく目を落としていた。小圓太のほうなんか振り向いてもくれなかった。
灯がつくとまた師匠はお座敷にでかけていった。また遅くかえってきた。また飲んでまた寝てしまった。
その次の日は文楽師匠、馬生師匠、りう馬師匠、他いろいろの人が朝早くからやってきた。そうして運座がはじまった。題は「雪」「餅搗」「落葉」だった。りう馬師匠が「からからと日本堤の落葉かな」という句をだして、そりゃお前抱一上人さまの名高え句じゃねえかと文楽さんからたしなめられ、一同大笑いになったりした。運座はいい加減にして間もなくお酒がはじまり、歌えよ踊れよの年忘れ、到底稽古どころではなかった。
次の日は誰もこなかった。「梅暦」ももうおしまいになったとみえてお神さんはおしのどんを指図して台所で春の仕度に余念がなかった。師匠一人が退屈していた。しきりに家の中を行ったりきたりしていた。でもなぜか稽古はしてくれなかった。
その次の日もまた、そうだった。いよいよ師匠は身体を持て扱っているらしく、「アー……アー……」としきりに大あくびをしては、
「誰か……誰かこねえかなあ遊びに。どうもたま[#「たま」に傍点]にこうやってジッと家にいると身を切られるより辛い」
と世にも寂しそうな顔をした。そんなに所在なさに苦しんでおいでなのなら――ムラムラと小圓太はいまお稽古して貰いたさの念に駆り立てられてきた。
「あの……師匠……」
で、つい昼の食事の膳を片づけにいったあと、いいにくそうに小圓太は切りだしてしまった。
「何だえ」
物やわらかな調子で師匠はこちらへ顔を向けてきた。
「あの……きょう……あのすみませんが私に……あの願えませんでしょうかしら」
思い切ってさらにまたいってみた。
「何を願うんだっけなお前に」
けげんそうに師匠は少し口を尖らかした。
「いえ、あの……お稽古なんで」
ちょいと頭を掻く真似を、小圓太はした。
「何のお稽古?」
いよいよ師匠はけげんそうな顔をした。
「いえ、あの、こないだ師匠がおっしゃって下すったんで、お稽古をって」
「だから何の誰の?」
「私のなんで」
もういっぺん思い切ってこういったとき、
「エ、お前の稽古、駄目だよ今日は」
たちまち世
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