んだおい、お前。
 ……返事をしろ、ハッキリとオイ返事をしてくれ。
「ウーム」と、ここにおいてようやく小圓太の「心」がまいってしまった。
 ……それは……それは……それはもう、いまの……このいまのこの生活のほうが。
(しどろもどろに「心」は答えた)
 ……いいんだろう、いまのほうがいいんだろう、ざまアみやがれ、すっとこどっこい[#「すっとこどっこい」に傍点]、そうなくっちゃならねえところだ。
 寸分の仮借なく声ならぬ「声」はせせら笑って――、
 ……第一、お前、この圓生師匠のところへ弟子入りした晩、あの長四畳へ引き取ったとき、何ていいやがった。壁に貼ってあるいろんな落語家の名のびらを見て、もうそれだけでいまの生活に大満足をしてたじゃないか。
 ……それがどうだそれが。まだ一年はおろか、半年も経たないうちにもうこんな口小言をいいだすなんて、これをしも心に驕りがでたといわないで何をいうんだ、おい小圓太おい、俺のいうことに間違いがあるか。
 ありません、たしかにありません。
 うなだれて口のうちで答えた。
 じゃ認めるな、ハッキリと認めるな、心の驕りだったということを。
 ハイ、認めます、すみませんでした。
 さらに低く口のうちで呟いた、声ならぬ声へ心で最敬礼をしながら。「三社祭」の善玉《ぜんだま》のような自分と同じ木綿の黒紋付を着た自分の「心」というやつが、しきりに頭へ手をやって閉口している姿がハッキリと目の前に見えるようだった。
 ウム、それならば――。
 はじめて相手は破顔一笑したらしく、
 やれ、元気をだしてやれ。
 お前は何もおもうことはない、不平も不満も希望すらも要らない、まだいまのうちは。
 ただただここの家に置かせていて貰うってことだけでいいとしろ。
 前途も糞もあるものか、ただ現在――現在だけをありがたいと三拝九拝していろよ、そこからきっと「路」が拓ける。
 でも、でも、そんな「路」が拓けるなんてことはずっと、ずうっと、あと[#「あと」に傍点]のことだ。
 くどいようだが、いまのこうやっていられることただそれだけを、ありがたいものにおもえ。そうおもう修業をしろ。
 二度とこんな了見違い起すと、ほんとに取り返しのつかないことになるぞ。
 いいな、分ったな。
「……わ、分りました」
 思わず大きな声立てて叫んだ。我れと我が声で、ハッと小圓太は気が付いた。冬日
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