は途中でそばやへ入る、でなければやた[#「やた」に傍点]一のおでんやへ飛び込む、そうして熱燗でいっぱいやりながらそばやなら鴨南蛮か天ぬき、おでんやなら竹輪かがんも[#「がんも」に傍点]へ辛子をコテコテと付けてさも美味しそうにそいつをたべる。
永いことかかって充分に味わった上やっとたべ終ると、
「サ行こう」
表へでて寒い闇の中で、
「たべたいかえ」
こういって訊く。
たべたいやね、そりゃ俺だって。聞くだけ野暮だろう。
で正直に、
「ヘイ」
ついこういうと、
「……たべてえとおもったら……」
顎で二度三度肯いておいて、
「早くお前、真打になんなよ」
だって――。
冗、冗談じゃない。
これが常日ごろ噺の稽古をしていてくれて、その上私が拙いんなら、こんな皮肉な真似をされてもいい。
あきらめもするし、なるほど師匠のいう通りだとおもっていよいよ勉強もするだろう。
それが噺の勉強をしようためのあらゆる大手|搦手《からめて》の城門はピタリと自分が閉めてしまっておいて、辛い目にだけいろいろあわして、早くお前早く真打になんなったって、そんな、そんな無理なこといわれたって(あまりといえばお情ない)。
「……」
考えるとだんだん情なさに、小圓太は自ずと自分の声が湿《うる》んでくるような気がした。つい二ヶ月前、空気をひと呼吸《いき》吸っただけで生甲斐を感じた寄席の楽屋が、何だかこのごろでは蛇の生殺しにされているかのごとき自分の姿を姿見に映して見ているところのようで毎晩々々師匠のお供をしてでかけていくことが譬えようもない苦患《くげん》のものとなってきた。
真打はおろか、前座になる日がいつくるのだろう、俺。
前座という脂《やに》っこい門のひらく日すらが、あの山越えて谷越えてのはるかのはるかの遠い末の日のことのよう心細くおもわれて何ともそれではつまらなかった、味気なかった、もひとつハッキリいわせて貰うならば、生き抜いていく甲斐がなかった、もう自分に。
煤掃きを明日に控えた十二月十二日の七つ下り、ところどころたゆた[#「たゆた」に傍点]に柚子の実の熟れている裏庭の落葉を大きな竹箒で掃き寄せながら小圓太は、見るともなしに竹箒を握っている自分の右の掌を見た。
「……」
思わず目を疑ったほど、黄色い日の中に照らしだされたその手は紫ばんでコンモリ醜く腫れ上がり、ひどい霜焼
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