何も修業と拭き掃除も、濯ぎ洗濯も、使い早間も進んでいそいそやらせて貰おう。
だのに、落語のほうは何ひとつやらせてくれず、ただおさんどんか権助の代りのようなことにばかり使う、使って使って使いまくる。
よく皆の演る「かつぎや」という落語では中へでてくる権助が、人遣いの荒い主人を怒って、人間だからええ[#「ええ」に傍点]が草鞋なら摺り切れてしまうだと文句をいうところがあるが、この師匠のところも少うしそれと似ていはしないか。
いや少しどころじゃない、まさしくそれだといってよかろう。
しかも師匠はいいつけた用事をまちがえると、頭からガミガミと怒鳴り付ける。ほんとうに縮み上がらせるまで叱り付けずにはおかなかった。
仲間には馬鹿丁寧で、お神さんに頭が上がらず、おしのどんにもやさしい口を利く師匠なのにこの自分にばかりはガミガミガミガミ我鳴り立てる。ことによると八方ふさがりでどこへいっても頭ばかり下げているからこの自分にだけ、天下御免と怒鳴りちらすのかもしれない。
そう考えると師匠が少し可哀想にもなるけれど、いやいやいやとんでもない、可哀想なのはよっぽどその癇癪の捌け口にされているこの俺のほうだろう。
しかもお神さんが別嬪さんなばかりで苦労しらずの武家出ときているから、そういうとき間へ入って何ひとつとりなしてくれず、おしまいまでほったらっかしッ放しだ。
ほったらかしておくほうは小言の火の手が自然にくすぶって消えるまで勝手だろうが、ほったらかされておかれるほうは随分堪らない。
お供をして寄席へいったってそうだ。
このごろは師匠の噺はおろか、誰の噺も到底おちおち[#「おちおち」に傍点]聴いているひま[#「ひま」に傍点]なんかありはしない。
あとからあとからくる人の合羽をぬがす、羽織を畳む、お茶をだす、御簾《みす》の上げ下ろし、鳴物の手伝い――こうした前座さんの手伝いをしながら、その上に師匠の楽屋へ入ってからでてくるまでヤレ何を買ってこい、ソレ何を買ってこい、どこそこへ使いにいってこい、それこそ独楽《こま》鼠のように使いまくられなければならない、おかげで自分が師匠の供をして行く寄席の前座さんはすっかり楽ができて、平常よりよけいに先輩たちの噺が聴いていられるらしい。
バカな話だよ、考えりゃ全く。
しかもこのごろのひどい霜夜、師匠の供をしてかえってくるとき、きっと師匠
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