圓生、圓橘、圓馬、しん生、龍生、馬生、文楽、馬石、馬六、馬黒、馬道、馬龍、馬猿、馬丈、馬之助、馬風、馬勇、玉輔、龍若、りう馬、龍齋……見れども見飽かぬ落語家たちの名前づくし。小圓太にとってそれは、あとからあとからまだあるあると口の中へ放り込まれる美味しいお菓子にもさも似ていた。こうしてこうやって次々とこの名前を見ていることだけでも、この部屋にいることは嬉しかった、ありがたかった、この世ながらの極楽――花園に住む心地がした。
いっぱいの幸福感に包まれて、小圓太は夢も見ずにグッスリと眠った。
二
……咽喉元過ぐれば熱さを忘るるとは、さもいずこの誰がいいだした言葉だろう。
我が小圓太、圓生門にあること二ヶ月、もうその年の暮のうちには、この諺に当て嵌るような心根になってきていたといったら、人、恐らくはその怠惰薄弱心に呆れるだろう。
あるいは色を作《な》して憤るかもしれない。
が――しばらく待っていただきたい、あれほど焦れに焦れて止まなかった落語家という世界に飽きだして小圓太、日夜を儚《はかな》みだしたのではつゆ更ないのだから。
むしろ落語《はなし》に、芸に、ひとしお身を打ち込めばこそのきょうこのごろの耐えがたい不満ではあったのだった。
いおうなら師匠が少しも落語家らしい生活をさせてくれなかったから。もっと簡単にいえば少しも「芸」を教えてくれなかったからだった。
いいえ、教えてもくれなければ、やらせてもくれない、馬鹿でもチョンでも橘家圓太郎の忰小圓太という変り種の子供の落語家として、休み休みではあるが七年ちかく高座のお湯の味をおぼえてきていた自分、「待ってました坊や」くらいの掛声はしじゅう掛けられていた自分、振袖を着た高座姿が可愛いとてお料理屋さんへ招ばれれば、折詰と御祝儀を貰ってかえってきたことも一再ではなかったこの自分だった。
どうだろう、それが――、
てんで[#「てんで」に傍点]落語のハの字もやらさせてくれないばかりか、きょうこのごろではいままではおしのさんのやっていたろう拭き掃除から御飯炊き、使い走り、そういう落語へでてくる権助のような間抜な役廻りのことばかり、ことごとくこの自分にさせる。
それでも何でも前座の前へでも何でも上げて喋らせてくれるなら、いやもし高座へ上げてくれないとしても、せめて落語の稽古だけでもしてくれるならば、
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