れば、暗い本堂のほうには微かに寒々とした燈火《ともしび》のいろが動いている。それが破れ障子へ、ションボリ狐いろの光りを投げかけている。
 ……いまのいま瞼に浮かんだ父圓太郎の頬照らす吹抜亭の高座の灯のいろとは似ても似つかぬ侘びしさだった。
 ボーン……ボーン……。
 どこか、ほかのお寺からだろう、梵鐘の音が闇を慄わして伝わってきた。いおうならこの鐘の音いろも、芝居噺のせりふのとき新内流しの合方にまじって楽屋で鳴らされる銅鑼の音とは比べものにもならないほど野暮でつまらなかった。第一、いってみればそこには活きた人間の情や心持というものを滲ませている何物もなかった。てんで[#「てんで」に傍点]次郎吉には必要のなさ過ぎる冷静で峻厳な世界の「音」ばかり「声」ばかりだった。
「……けッ……」
 ただ「けッ」とのみいいたかった、ほんとうにいま次郎吉は。


     二

 いつ迄、暗闇の中に愚図々々してもいられないので渋々庫裏のほうへ取ってかえすと、ちょうど庭下駄を突っかけて義兄《あに》の玄正が自分を探しにでようとしているところだった。薄ら明りの中に半面|影隈《かげやま》取られて冷たく浮き出している尖った義兄の顔は、自分たちとは全く世界を異にしている人々だけの持つ厳しさだった。毎度々々のことながら取っ付けないものをそこに感じた。
「和尚様御食事じゃ。サ、早う給仕」
 そう冷淡に(と次郎吉にはおもわれた)いい捨てて踵を返すと、侘びしい灯の流れているほうへ、真黒い衣を鋭くひるがえしながらとつかは[#「とつかは」に傍点]と消えていってしまった。
 時分時だというけれど、自分たちの住んでいた町家《まちや》のようにお汁《つゆ》の匂いひとつただよってくるでもない。それも次郎吉には侘びしかった。
 急いで和尚様のお居間へ入っていくと、もう誰かが運んできたのだろう、つつましくふた品ほどのお菜《かず》をのせた渋いろの塗膳を前に、角張った顔を貧血させて和尚様は、キチンと手を膝の上に、控えておられた。
「あいすみませんおそくなりまして……」
 ちっとも小坊主らしくない軽いちょく[#「ちょく」に傍点]な調子でいいながら、ピョコッと次郎吉はお辞儀した。
「……」
 黙って和尚様はところどころヒビの入っている大きなお茶碗をヌイと差し出された。
 ……少しずつよそってそれを長い長いことかかって三杯。でもその
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