に反対して芸人を止めさせ、自分の手許へ引き取ってきてしまったからだった。
もちろん次郎吉の小圓太はいや[#「いや」に傍点]だといった、槍ひと筋の家に生い立ちながら好んで落語家の仲間へ身を投じた父の圓太郎も決して廃めさせたがらなかった、むしろ本人が好きな道ならましぐら[#「ましぐら」に傍点]にその道をこそ歩かせたがった。
が、夫圓太郎の寄席芸人となったことすらいやでいやで耐《たま》らなかった女房のおすみは、何といっても聞かなかった。青戸の在の左官の妹でありながらおすみは、圓太郎とは比べものにも何にもならないほど凜とした気質《きだて》のおんなだった。ここぞとばかり玄正の説に賛成して、次郎吉の小圓太を廃めさせようとかかった。
そのころの芸人の常とはいえ、しょっちゅう[#「しょっちゅう」に傍点]道楽をしてはその後始末ばかりさせているおすみの前、何としても圓太郎は頭が上がらなかった。
「道楽者は阿父《おとっ》さん一人でたくさん」
こうキッパリといわれると一言もなかった。
それには自分と一緒になる前、おすみが深川のほうの糸屋へ嫁《かたず》いていて生んだ子の玄正にも、いい年をしててんで[#「てんで」に傍点]圓太郎は口が利けなかった。全体どこにも武家出らしいところのない、それ故にこそ、またかくも音曲師として世間から迎えられてしまったのだろう圓太郎は、武家とか出家とかそうした堅苦しい商売の者との応待が、この世の中で一番苦手だった。町役人という名のあるだけに、家主と口を利くのも窮屈千万でならなかった。従って仮にも義理の親子であるのに、いつも玄正とさし[#「さし」に傍点]で話すたんび、店賃《たなちん》の借りのある大屋さんの前へ出た熊さん八さんでもあるかのよう、わけもなく圓太郎は玄正に対し、ヘイコラしてしまうのが常だった。
さて今度その二人から膝詰で、小圓太の次郎吉を高座から退かせろと談じ付けられたのだった。
ウンもスーもなかった、世にもだらしなく呆気なくもの[#「もの」に傍点]の見事に承諾するのやむなきに至らされてしまって、即ち次郎吉はその日のうちに落語家を廃めさせられ、この日暮里南泉寺の兄玄正の手許へと連れてこられてしまったのだったが……。
「……つまんねえなあ俺」
もうとっぷりと暮れつくしてしまったそこら中を、やっと涙の顔を上げて見廻すと、世にも悲し気に呟いた。
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