ての胸がスーッとするほどの出来映だった。銭金では購えない一種特別の喜びが、圓朝の身体中をズブズブに浸した。今宵こそ初めて自分の周りの人たちの顔を仰ぎ見られる思いだった。
「師匠師匠、大へんな評判。あんたなぜこれを初日からだしてくれなかったんです」
 いつか話をまとめにきた下足の爺さんが、病身らしいもう年配の女主人といっしょに、バタバタ楽屋へ飛び込んできていった。
 初日からこれがだせるくらいなら何も私、師匠にあんな真似をされなくてもすんだんでさあ。そういいたいところを、黙ってただニコニコと圓朝は頭を下げていた。
「あのほんのこれ少しで失礼ですが、どうか楽屋の皆さんで召し上がって下さい」
 よっぽど、今夜の出来映が気に入ったのだろう、お酒を一升、お煮しめを添えて女主人がそれへ差し出した。
 こんなにも自分のこしらえた噺が喜ばれた、お客はおろか席亭にまで。ジーンと圓朝はさしぐまれてくることが仕方がなかった。
 やっぱりお蔭だ。師匠のお蔭だ。
 チャンと何もかも承知の上で師匠はああやって虐めて下すったんだ。あのことなかったらどうしてこの私に、この「おみよ新助」の噺ひとつできていたろう、いや「おみよ新助」ひとつじゃない、まだあとには「累双紙」というものもあるのだ、そうしてまだまだこのあといくつもいくつも、一生涯いろいろさまざまの噺をこしらえていこうとさえ考えているのだ。みんな、みんな、この間うちの師匠の仕向け方の賜物でなくて何だろう。
「…………」
 いまこそ圓朝の心の鏡は世にも美しく研ぎ澄まされ、それへおおどかに師匠圓生の大きな鼻が、それこそ真如の月浴びてありがたく辱《かたじけな》く映しだされてきた。ヒシとその圓生のおもかげへ飛びついていって、齧りついて抱きしめてしみじみ御礼がいいたいくらいのおもいだった。
 ……翌晩ももちろん圓朝は、「おみよ新助」の続きを演った。今夜は野遠見《のとおみ》へ、あかあかと銀紙の月さしだし、月下、艶かしい首抜き浴衣の悪婆を中心に、またしても世話だんまりを身振り面白く展開させた。
 その次の晩も、切り場は河岸っぷちの派手な立廻りだった。そのまた次の晩は廓での怪談。さらにまた次の晩は雪中の立廻りで、これでめでたく市が栄えた。いずれも大した評判だった。事実今迄の道具噺はこれほど鳴物が大がかりでなく、これほど道具幕が綿密でなかった。師匠圓生のにしてか
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