タとくずおれた。そしてはまたすぐその心の底から不思議に元気よく立ち上がっていく。ああこんな真剣な繰り返しを圓朝はおよそ何回何十回としたことだろう。
 すればするほど、真打たりたい圓朝の希望は大きく逞しく拡がっていくばかりだった。
 なりたい、なりたい、なりたいと、さんざ考え抜き、悩み抜いた末、今度は、では、どうしてなれないのか。
 どうしてこの俺だけはなれないのか。なれないにはなれないだけの次第が何かそこにあるのだろう、それを考えだしてみたい。
 ふっとしまいにそういう反対の考え方をするようになってきた。
 しかもこの考え方は、意外なところで人生行路の敵の虚を突いたようなものだった。
 たちまち答案が、そこへでてきた。
 ……ありふれた噺ばかり演っているからさ。
 なるほど、芸質はすでに曙空を仰ぐような佳き紫いろと。だからこそようやく人気も立ちそめてきたが、しかししょせんは自分の演るところの噺、ひと口にありふれたものばかりである。
 いくら五十が百おぼえようとそんな噺――。
 柳枝さんも演る。
 その弟子の榮枝、柏枝も演る。
 左楽さんも演る。
 さん馬さんも演る。
 まだその他にも誰も彼も自分より十倍も二十倍も巧い人たちが、もっと達者に、もっと上手に、演っているではないか。
 いくらどう馬力を掛けてみたところで、どうまあ卯辰《うだつ》が上がるものか。
 すなわち、これがどこからかしきりと圓朝の耳許へ囁きかけてきたところの「答案」だった。
 ……そうか。
 そうだったのか。
 なるほど――なるほどその通りにちがいない。
 では――では、その幾多の名人上手たちに負けないようにしていくのには、一体、どうしたらいいのか、私は。
 ……やることさ、誰もがまだ手がけていない新しい「路」を。
 そこを切り拓いていくことさ。
 第二の「声」は、つづいてこうした第二の「答案」を囁いてきた。
「おお、そうだった」
 はじめて圓朝は、この答案としての自分の行く手に薄白い東雲《しののめ》の空のいろを感じた。
 ひとすじ夜明けの朱《あけ》を見た。
 よし。
 やろう。
 やってみる。
 必ずやるとも。
 勢い立って心に叫んだ。

 あくる日から茅町のささやかな圓朝の住居の中には、ところ狭しと唐紙のような、障子骨のような、衝立《ついたて》のような、屏風のようなものの、いずれも骨組ばかりのもの
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