がとっ散らかされはじめた、とんと経師屋《きょうじや》の店先のごとくに。
 片っ端からそれへいちいち、萬朝と二人、汗みずくになって反古《ほご》紙を貼った。
 そろそろ袷《あわせ》に着換えたいきょうこのごろ、家中がムンムとするほど炭火をおこして、その火で反古紙を貼ったものを片っ端から乾かしていった。
 乾き上がると、今度はその上へ上等の鳥の子を貼った。また、それを炭火へかざして乾かした。
 やっと出来上がったかとおもうと、物さしをあててみて寸法の間違いであることが分ったりして、また始めからやり直すこともあった。そうなるとまた反古紙を貼り直し、またそれを焙《あぶ》り、またまたその上へ鳥の子を、またまたそれを火で乾かすのだった。
 寄席へ行くまでかかりっきりで[#「かかりっきりで」に傍点]やっていると圓朝も萬朝も、汗で着物が絞るほどグショグショになってしまった。
 でも――何ともそれは愉しかった。他人には説明し難い苦労の愉しみというものがあった。
 ようやくそれらが出来上がった。
 あくる日から座敷中が、今度は国芳の家のおもいで懐しい無数の絵の具皿で充満された。
 赤や青や黄や緑や白や紫やさては金銀や――経師屋化して人形屋か大道具師の仕事場もかくやとばかりだった。
 羅《うすもの》ひとつになって圓朝は、この間内《あいだうち》から貼りかえたいろいろさまざまの障子のような小障子のようなものへ、河岸の景色を、藪畳を、廓《よしわら》を、大広間を、侘住居《わびずまい》を、野遠見《のとおみ》を、浪幕を、かつて習い覚えた絵心をたよりに、次から次へと描き上げていった。
 次から次といっても、もちろん、そう短兵急《たんぺいきゅう》にはゆかない。これもやっぱり乾きを待って(雨でもつづくと何とそのまた乾きが遅かった!)次々と塗り上げてゆくのでなければならなかった。三日で上がるのも、五日で上がるのもあった。十日かかってまだ出来上がらないものもあった。
 全部の景色がすっかり仕上がってしまったのはかれこれ、八月。もう裏のすみだ川の水のいろが、めっきり秋らしく澄みだしていた。
 あくる日から圓朝の家は三たび態《さま》を変えて、今度は花やかな三味線の音締《ねじめ》が絶えず聞かれるようになった。大太鼓、小太鼓、ドラ、つけ[#「つけ」に傍点]や拍子木の音も面白可笑しく聞こえてきた。
 三味線のほうは下座のお
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