、いけッ太え畜生だ」
正直一途の萬朝はもうカンカンになって腹を立てていた。のち[#「のち」に傍点]の明治になってからほどハッキリと分れていたわけではなかったが、そのころのことにしても三遊派と柳派とは歴史的にも落語界での二大潮流だった。ほんとうにいま萬朝の怒る通り、ほんとうに小勇が撰りに撰ってその柳派の大頭目たる春風亭柳枝のところへ、自分に無断で草鞋《わらじ》をぬいでしまったとしたら。
さすがに圓朝はいやあな[#「いやあな」に傍点]心持がした。
このごろいっそう自分に機嫌の悪くなった師匠、圓生が、つい二、三日前も寄合で(たまたま自分は用事があって顔をださなかったのだったが)大ぜいの人たちのいる前で圓朝の奴は留守中俺に無断で端席を打って恥さらしな真似をしたとか何とか大そう自分のことを悪しざまに罵っていたと耳にした。
端席の不入りは自分が未熟だったのだし、師匠の旅中に断らずやったのは手落ちだったかもしれないが、万々一にも大入りだったらかえっておいでなすったとたん、アッと喜んで頂こうとおもったからに他ならない。
何もそんなにまで怒られるわけはなかろうとおもっていたが、ではことによったら端席のことは附《つけた》りで小勇の柳派入り一件かもしれない。でも、でも、それならば明らかに小勇が悪い。師匠の怒るのも無理はない。
同時にそうした三遊派全体を踏み付けにした弟子をだしたのはこの自分の責任だ。打たれても蹴られても仕方がない、これは心から詫《あやま》ろう。
そう覚悟を定めていたが一向に師匠のところからは呼びにくる気配もなかった。
二日、三日、四日――日が経つにつれて、だんだん圓朝は小勇の存在を忘れてゆくようになった、満座の中で悪しざまに師匠が自分を罵ったということをさえ。やがて二つともフッツリともおもいださなくなってしまった。それほどもうそのころ日に夜に圓朝の周りを取り巻きだしていた人気の声々は高まってきていたのだったといえよう。
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第四話 拾遺 芸憂芸喜
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一
その真打に。
でも、やっぱりなかなかなれなかった、圓朝は。
「立浪の、寄るかと見えて」いつも空しく仇花と凋《しぼ》んでいってしまうことが仕方がなかった。
そのたんび気を落とし、悲しみ、ヘタヘ
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