れよう。落語家万事、偐《にせ》紫、江戸紫、古代紫、紫、紫、むらさきのこと――芸の落ちゆく最後のお城、御本丸は、ついに「紫」以外の何物でもない、ないのだ。
 こう文楽を聴いていてしみじみと悟った圓朝は、以来話し口を、人物の出し入れを、「噺」全体を、極めて明るく明るくと勤めた。
 果してお客の受けがよかった。席亭も大へん喜んでくれるようになった。
 二軒、三軒――だんだんいい寄席の、深いところへでて喋れるようになった。
「あの落語家は若いけれど、もの[#「もの」に傍点]になりそうだ」
 誰もがこういいだしてきた。人気。自分という一しか値打のないものを選ってたたって傍《はた》が二十、三十にとせり上げていってくれる、何ともいえないありがたいもの。人気というものの幸福感をはじめて圓朝は、身近に知ることができた。
 ……でもその頃から目に見えて甲州からかえってきていた師匠圓生の受けは悪くなった。逢いにいっても機嫌の悪い顔ばかりしていたし、たまに楽屋で面とむかってもプリプリ怒ってばかりいた。
 が、自分としては少しでもでてきたこの頃の人気。師匠に喜んでもらえこそすれ、怒られることなんかした覚えはひとつもなかった。むしろ不思議でならなかった。で、いよいよ精一杯、師匠へ尽した。尽せば尽すほど師匠の機嫌は悪くなった。言葉に針があり、することがなすことが目に見えて意地悪くなり、小言をいうときでも内弟子時分のような、サラリとした小言はいってくれずいたずらに長談義のようなへん[#「へん」に傍点]にネチネチした悪意のうかがわれるお説教ばかり聞かされた。しっかりやれと自分のお盃を差してくれたあの日の師匠の思いやりある面差しなんか、薬にしたくももう見られなかった。
 ひとえにそれが寂しかった、圓朝は。
 こうしたひょん[#「ひょん」に傍点]なことになっても、前にもいった通りお神さんは、嬢さまの年を老《と》ったというだけのお仁《ひと》だったから何をどう取りなしてくれるでもなかった。師匠の感情は水の高きより低きへ流るるよう下らなく悪化していくばかりだった。僅かにいよいよ上がっていく人気という五色の雲の中へひた隠しに身を隠して、その寂しさを忘れていた、なぜ師匠はいっしょにこの人気を喜んじゃくれないのかしらとしきりにおもいながら。
 そのころ七軒町の裏店から、表店へ。
 ゴミゴミした裏長屋から、明るい表通
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