れには久し振りでしみじみと聴かせて貰った文楽師匠――宮志多亭のときとは段違いに芸が大きく美しく花ひらいていた。
もちろん、あの時分とて決して拙い芸ではなく仇な江戸前の話し口だったが、遠慮なくいわせて貰えるなら、やや線が細過ぎて江戸前は江戸前でも煙草入れとしてのおもしろさというところだった。
それが今度は見違えるほど芸の幅が広く立派になっていた。それには何ともいえない明るいこぼるるばかりの色気というか、愛嬌というか、触らば落ちん風情が馥郁《ふくいく》と滲み溢れてきていた。かてて加えて人情噺でありながら急所々々のほかはことごとく愉しく、明るくまた可笑しく明朗ひといろで塗り潰されていて、そこに少しでも理に積んだものがなかった。
「ウーム」
声を放って感嘆した、圓朝は。
この人に比べるとうち[#「うち」に傍点]の師匠圓生は決して拙い人ではないが、万事が理詰めで陰々と暗い、寂しい。だからどことなく聴いていて肩が凝る。
もし絵の具の色にたとえていうなら、うち[#「うち」に傍点]の師匠のは青か藍だろう。
このごろ一部下司なお客様たちに喜ばれるいたずらに悪騒々しい手合をさしずめ赤とするならば、もちろんその赤ではいけないのだけれど、さりとて青だけでもまた侘びし過ぎる。
そこへいくとこの文楽師匠は赤でなし、青でなし、巧緻に両者を混ぜ合わせた菖蒲《あやめ》、鳶尾《いちはつ》草、杜若《かきつばた》――クッキリと艶《あで》に美しい紫といえよう。
ああ、それにつけてもいと切におもわずにはいられない、下らなく悪騒々しい連中は速やかにうちの師匠のような本格の青さを加えて紫の花香もめでたく。噺に陰影《かげ》を添えることだ。
同時に、噺の筋はたしかだが青ひといろで陰気だと鼻つまみにされている面々は、これまた適当に赤を混ぜることだ。そのとき各々の人たちの芸はそれぞれ皆はじめて画竜点睛、ポッカリと江戸紫の花咲きそめることだろう。
とするとどうだ、この私は。
青――あまりにも青だった。
土台の私自身の「芸」が青のところへ、師匠の青を混ぜ合わしている。だから生来の青は青のままいよいよ深きを加え、あるいは紺となり、あるいは藍となり、あるいはまた萌黄となり、どこ迄いっても要するに陰、陰、陰の連続だった。
いけない、これでは。
いかでかそんなことで、まこと愉しめる「芸」というものが、何生
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