ける質《たち》の男だった。
噺は萬朝のほうが馬鹿々々しくて見込がありそうだったが、日常の茶飯の事にかけては小勇が、恐しいほど万事万端才走っていた。
従って萬朝は台所の手伝いをしかけている途中で、噺の稽古に夢中になってしまったり、かとおもうとまた用事をおもいだしてそのほうへかかったり、とんとすることがしまらなくて、よく年若の圓朝から叱られたが、小勇のほうはろく[#「ろく」に傍点]になんの稽古なんかしない代り、暇があると表を掃いたり、ごみ[#「ごみ」に傍点]箱のそばの雑草を引っこ抜いたり、一坪ほどの何ひとつ植っていない庭へザブザブ水をやったりした。
圓朝が御飯をたべていると、後へ廻って団扇で煽ぐのもきっとこの小勇だった。そうしては萬朝のどじ[#「どじ」に傍点]で間抜けなことを、何彼につけて悪しざまにいった、聞きかねて圓朝のほうがなだめだすまで。
「なんのお前、萬朝のほうがどじでもよっぽど無邪気でいいんだよ。あの小勇の奴ときたらお前さんがでかけてしまうとすぐにグーグー高|鼾《いびき》さ。ほんとにお前あの二人がいっしょになるとちょうどいいんだねえ」
二人きりになると母親のおすみは、つくづくこう圓朝にいった。
思いがけなくできた二人の弟子。
それは若い圓朝を、いよいよ勉強させる基となった。
俺はこんな若くて二人も弟子があると自惚れる前に圓朝は、二人も弟子のあるこの俺がデレリボーッという心持になっちゃいられない、早く早く真打にならなきゃ……。
そう考えては、一心不乱に勉強した。
二十一日の金龍寺墓参はもちろん、そののちもズッとかかさず、つづけた。
まだ若輩のところへ、喰潰しの弟子が二人もきて、いよいよ暮らしは苦しかったから、依然門番への心づけはやれず、そのたんびきまりの悪い思いをしてかえってきたが、それでも何でも月にいっぺん、親しく大師匠の墓前へ立って、まるで生きている人にでも話し掛けるよう、己の昨今を報告し、あわせて、芸運長久のほどをひたすら祈ってかえってくるあの心持は別だった。何ともいえずすがすがと楽しかった。
かかさず、忘れず、願にかけてよかった。
その上、毎晩、寄席へゆく前、必ず前の井戸端へ四斗樽を据え、素ッ裸になってその水を浴びた。昼席に勉強にいっていても、必ずいっぺん家へ帰ってきて、水ごりをとらなければ、決して寄席へはでかけてゆかなかった。
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