こりゃ。じゃちっとも重宝じゃありゃしない。圓朝はまたふきだしたくなってきた。
「親方ンとこの、いえ親方ったって私の伯父貴なんだけれどね、そこの煤掃き手伝いにゆくとあとで軍鶏《しゃも》で一杯飲ましてくれるんです」
 藪から棒に今度はまたこんな奇妙なことをいいだして、
「その軍鶏で御馳走《ごち》になりてえ一心で私ァ一昨年《おととし》手伝いにいったんだ、そうしたら畳を上げたとたんに親方がどっかの殿様から拝領したって、ひどく大事にしている御神酒徳利を三つぶッ壊しちまってね。そうしたら親方がいいましたぜ、もう来年からお前だけは手伝いにこないでいいって」
 当り前だよそりゃ。いよいよ圓朝は唇を噛んで笑いを耐えていた。そのとき汗っかきとみえて豆絞りの手拭で汗拭きながら、その男は表の樋をつたって流れる雨音に負けないような大きな声で自分のほうが勝手にゲラゲラ笑いだした。ア、分った。汗を拭くところを見ておもいだした、似たとはおろか瓜二つ、うちの阿父さん圓太郎をそっくりそのまま若くしたんだ、この顔も、それから声も。いやどうも、じつに似ている。時が時だけ、他人事ならず圓朝はいっそなつかしいものにおもわれた。
「ウーム、なるほどなるほどお前さんは」
 やがて圓朝は口を切って、
「失礼ながら面白いお方で落語家さんにはまことに結構とおもわれます。しかしねえ、お前さん」
 ちょっとクリッとした目を外らして考えていたが、
「でも私《あっし》のような青二才の弟子になるより、どうせこの商売におなんなさるのだったら、もっとどうにかなったお人の……」
「いえ、いいえ、それが」
 あわてて相手は剽軽に手を振って、
「こっちァお前《ま》はん一本槍でやってきたんで。私ア文楽さんのでている神田の寄席でお前さんを聴いたんだ」
「ああ三河町のあの……」
 千代鶴だった。
「ウム。そうなんだ。まだそりゃお前さん、ほんとに若いけれどもね、多少末始終の見込があるとおもってね」
「恐れ入ります」
 多少は恐れ入りましたね。またしても笑いたくて笑いたくて圓朝は仕方がなかった。
「つまりその仕込みゃどうにかなる人だとおもったんだ、お前さんは。だから私《あっし》ァいっしょに苦労をしてひとつ釜の飯を食べてみてえとこうおもってやってきたんだ。成る、きっと成るよ大真打にお前さんは。ねえ、ねえ、昔からいうだろう、師匠を見ること弟子に如《し》
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