さん、小勝さん、バタバタと死んでしまったせいもあるけれど、それぞれに属していた多くの弟子たちも一人減り二人減り、にわかに火の消えたようになってしまった。
もういまでは自分と旅へでたまま音信不通になっている親父の橘家圓太郎と、師匠のところの客分に当るもう老いぼれた圓蔵と、なんと三遊派はこれだけしかのこっていなかった。
……何とか――何とかしなけりゃ。
……何とかしないことには阿母を抱いて、私は心中してしまわなければならない。
圓朝はそう考えた。
……いや阿母ばかりじゃない、三遊派全体が地獄の底の底へと沈んでいってしまうことになる。そうもまた考えた。
……でもいくら何をどうしようとて、師匠がいくら骨を折ってくれても真打にしてくれ手もないこの私。三遊派という腐っても鯛の大きな大きな屋体骨を背負って立つには、あまりにも自分というものが非力過ぎた、貧弱過ぎた。これじゃ天下を覆《くつがえ》さないうちにこの私自身が覆ってしまうだろう。
どうしたら、ああどうしたらいいだろう――とつおいつ[#「とつおいつ」に傍点]悶ゆる目先に、いつか二つ目になったとき師匠に連れられてお詣りにいったことのある苔むした初代三遊亭圓生の墓石がまざまざといま見えてきた。
「ウム」
何をか圓朝は強く心に肯いた。
その月から圓朝は毎月初代圓生のお墓参りにゆきはじめた。雨が降っても槍が降っても、いいや槍どころじゃない、類いまれなるあの大地震のあったその月、焼野原の灰掻き分けて迄も圓朝は、はるばるお墓参りにでかけた。
二
かくて一年目。
梅雨曇りの午後の空を寂しく映している水溜りをヒョイヒョイヒョイヒョイ除けるようにしてきょうも圓朝は、それが目印の、燃えるように柘榴の花の咲いている下の墓石のところまでたどり着いた。片手にお線香と番傘を、片手に樒《しきみ》を五、六本浮かべた手桶を重そうに持ちながら。
浅草森下の金龍寺。
そこに立派《りっぱ》やかな初代三遊亭圓生のお墓が建てられていたのだった。見上げるような墓石だけに無縁同様の、それが去年の大地震にところどころ欠けているあとへベットリ青黒いものの苔蒸している姿には、ひとしお荒涼たるものが感じられた。
「…………」
携えてきたたわし[#「たわし」に傍点]でゴシゴシ圓朝は墓石を洗った。サーッとてっぺんから水を掛けた。そうしてはま
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