た、ゴシゴシとこすった。
「初代三遊亭圓生墓」
やがて、赤ばんだ紫ばんだ石のおもてへ、彫りの深いこんな文字が露《あらわ》にあらわれてきた。同じように水を掛けて、右横のほうを洗うと「三遊門人一同」として、古今亭新生、金原亭馬生、司馬龍生、三升亭小勝、二世三遊亭圓生と、あとからあとからこんな文字が並んで細く顔見せてきた。
新生、馬生、龍生、小勝――みんな初代圓生門下の逸足《いっそく》で、今は亡い得がたき手練《てだれ》ばかりだった。一人一人の顔が、姿が、高座振りがみんなつい昨日のことのように、なつかしく圓朝の記憶にのこっていた。今更のように圓朝は、それらの人々の上が惜しまれた。
一番おしまいの二世圓生――それがいまの自分の師匠の圓生だった。
「ほんとに……」
桶の中から取り出した樒を半分ずつにして、両方の花立ての中へ差し込みながら圓朝は、
「うちの師匠の代になってめっきり三遊派は衰微してしまった」
そっと微かに溜息を洩らした。秀でた眉が、心持悲しく慄えていた。
「何て……何てこったろうほんとに」
シットリと湿《しっ》けた枝差しだしている傍らの柘榴の股になっているところへのせて置いたお線香二本、つづいて圓朝は左右の線香立てへ供えた。ユラユラうすむらさきの煙りが立ちのぼって、やがてそれが思い思いの形に折れた。そうして、流れた。
……町内随一の大|分限《ぶげん》の身代が次第々々にぐらつきだし、今ではいたずらに大きなそこの土蔵の白壁の、煤け、汚れ、崩れ果てて、見るかげもなく鬼蔦《おにづた》の生い繁り、鼠ほどもある宮守《やもり》の絶え間なく這い廻っている……そうした何ともたとえようない寂しい儚ない浅ましい景色を、圓朝は目に描かないわけにはゆかなかった。
「……もし初代さま、大《おお》師匠さま」
すっかりお墓の掃除をすますと、改めてサーサーッと手桶の水を墓石の上から流し、なるべく大きな美しい樒の葉を一枚むしって、その葉ではね返すように小さく手向《たむけ》の水を上げると、心からなる声で呼びかけた。
「お願いです、お願いでございます。私ども、子供心に覚えております。あなた様御在世のみぎりはこの三遊派、大した御全盛でございました。それが只今では御覧の通りの見るかげもない有様となっております。残念でございます私は。どうか、どうか、三遊派を、昔の……昔のように私は……」
ここ
前へ
次へ
全134ページ中68ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング