三段に雀の行方を追う圓生の目のつかい方は、それぞれそのたんびに位置や高低がちがっていた。話中幾人かの人物の位置の移動を、眼《がん》の配りたったひとつで如実に表さなければならない「噺」の世界では、かかって「芸」の活殺《かっさつ》如何はこうした目の動かし方ひとつにあり。すなわちいまその奥秘の種明かしをば、親しく師匠はして見せてくれたのだった。

「ウームそうか、そうだったのか」
 その日。感激で満身を慄わせながら小圓太は、四谷から振出しの神田三河町の千代鶴という寄席まで独り言《ご》ちながら歩いていった。どこをどうどんな風に歩いていったか分らなかった。それほどことごとく興奮していた。
「そうか、そうなのか、始めて……始めて……ウーム、そうか」
 そんな風な何ともつかない独り言を洩らしてはニヤニヤ笑いだしたり、口をへの字に曲げたりしてはまたブツブツ呟きながら、夢中で歩きつづけていった。
「オ、キ印だ」
「まだ若えのに可哀想に――」
 そういって何べんすれ違う人たちに嗤われ、後ろ指さされたことだろう、でもてんで[#「てんで」に傍点]そんなこといまの小圓太の耳には入らなかったのだった。
 ひたすら、夢中で歩いていた、歩きつづけていた。
 これが修業というものか。
 ほんとうの修業というものなのかこれが。
 噺はただ単に喋れるばかりでいいというのじゃない、こうしたいろいろさまざまの困難に耐えてゆく、そしてそれをいちいち噺の中の人物の了見方の上へと移し替えていく。
 それが――それがほんとの修業というものではあったのか。
 とすると、ああ俺何てこッたろう。あの時分あんなに怨んじゃいけなかったんだうちの師匠を。ホレあの入門以来、ろくすっぽ[#「ろくすっぽ」に傍点]稽古もして下さらなければ、前座にすら使っておくんなさらなかったといってさんざ腹を立てたり嘆いたりしたけれど、いってみればあれも、圓太郎の忰でございと永年楽屋勤めをしてきたこの俺を、いろはのいの字から叩き直してやろうてえ思し召しだったのか。そういえばそば[#「そば」に傍点]やおでんを見せ付けては食べさしておくんなさらなかったということも……。
 今更、師匠の底知れぬ心づくしのほどがあとからあとからあぶりだし玩具にあらわるる絵のごとくマザマザと眼先に描かれてきた。何ともいえず恥しかった。
 知らねえで、つゆ[#「つゆ」に傍点]い
前へ 次へ
全134ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング