や粉米桜《こごめざくら》や連翹《れんぎょう》や金雀枝《えにしだ》や辛夷《こぶし》や白木蓮の枝々を透してキラキラ朝日がかがやきそめてきていた。有耶無耶《あるかなきか》に流れてくるなんともいえない花の匂い。
「……」
 大きく息を吸いながら小圓太は無心に竹箒の先を動かしていた。
 ポチャンと水の音がした。と見るとすぐ目の前の五色の雲を映している青澄んだ池のおもてに、緋鯉が跳ねたのだろう大きな渦巻が重なり合ってはみだれていた。いつか母屋からよほど離れたこんな池のふちのところまで掃き寄せてきていたのだった。
「サ、もうひと息、池の向こうを掃きや……」
 尚もせわしなく竹箒を動かしはじめようとしたとき、
 アツ、だしぬけにドーンと腰の番《つが》を突かれた。そういってもべら棒に烈しく突き飛ばされた。フラフラフラと身体の中心を失い思わず前へのめっていったときツルリ小圓太右足を踏み滑らした。
「ア、アーッ」
 もうどうすることとてできなかった。彩雲《いろぐも》ただよっている水のおもてが、たちまち大きく自分の目の中へ入ってきた。とおもう間にツツツツツ、ドブーン。雲掻きみだして青い池の真っ只中をアプアプ小圓太は泳いでいた。
「イ、いけない」
 プーッと泥臭い水を吐きだすと、ようやくのことで竹箒片手に池から這い上がってきた。一帳羅の黒紋付が見るかげもなくぐしょぐしょ[#「ぐしょぐしょ」に傍点]だった。ポタポタ青っぽい雫が落ちてきてきんぽうげ咲く草原を濡らした(ウルル、寒い)。
「アッハッハッハ」
 にわかに聞き覚えのある大きな笑い声が、耳もとで起ってきた。
 ギョッと見上げると師匠だった。暖かそうな黄八丈の丹前を着た師匠の圓生が、朱いろの日の中に朝酒で染めた頬をかがやかして、さも面白そうに笑って佇《た》っていた。
「い、いや[#「いや」に傍点]ですよ師匠冗談なすっちゃ」
 怒りもやれず小圓太はいった。
「冗談はしねえ、本気にやった」
 もう一度師匠は哄笑《たかわら》った。
「冗、冗……」
 さすがに口を尖らかして、
「いやんなっちまうなほんとに師匠。こんなことよか早く稽古のほうをやっておくんなさいよ」
 こう頼んだとき、
「すんだよもう」
 キッパリ師匠はいい放った。
「エ」
 思わず小圓太は訊き返した。
「すんだんだというんだよ、だから」
 また同じことを師匠はいった。
「何がすんだん
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