の場合も多くは前記の「刀屋丁稚」とか「恵美須小判」とかのごとく、余りにも意表の場面で意表の人物が猥雑のことを云ふので明るい可笑しさが先立つて可成に不快感からは救はれた。
世人一と口に、彼を目して初代春団治と云つてゐるが、初代ではない、二代目である。初代春団治は故春団治の兄弟子で、志々喰屋橋圭春亭席元となつた仁。今日、二代目を初代と云ふは、一に二代目の盛名が一代を圧したからに他ならない。ステテコの円遊もじつは二代目で初代は円朝門下の先々代新朝であり、猫八も先年死んだべらんめえの中風の人は二代目であつたが、みなその人気旺盛のため、誤つて初代と呼ばれた。大正元年、道修町の薬種屋の未亡人が春団治の贔屓となり、巨額を投じてこの人を引き立てた。後家ころしと呼ばれた春団治は、さうした艶情すらが人気を助けるに至つた幸福人であつた。やがて彼はこの未亡人と夫婦になり、死ぬまでを同棲した。いよ/\幸福人と云はねばなるまい。
一代を花やかな人気で飾つた春団治も、僅に晩年の幾年かは不遇であつた。金語楼の擡頭に一籌を輸され(その金語楼は売出し以前、下阪するたび始終、筆者と春団治研究に歩いたものであつた)、愚劣
前へ
次へ
全15ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング