周りであるとする。それを春団治こそは寝食を忘れ、粉骨砕心し、粒々辛苦の結果、たとへば額とか、膝ツ小僧とか、肩のどの線とか、親指と人さし指の間とか、全くおもひもおよばざるところに哄笑爆笑の爆発点を発見し、遮二無二、その一点を掘り下げていつた大天才であつたとおもふ。所詮は、あくどい笑ひに対してよく云はれる「くすぐり」と云ふやうな卑小な世界のものではなかつた。ここに笑ひの大木あつて、さん/\とそれへ笑ひの日がふりそゝぎ、枝からも、葉からも、蕾からも、花からも、実からも、幹からも、根元からも、笑ひの交響楽が流れ、迸り、交錯し合つて、さらにドーツと哄笑《わら》ひ合ふすさまじさであつたと云へよう。私は、生れてから(恐らく死ぬまで)この人以上に笑はせられた歴史を持つまい。余りに郷土的な、それ故にこそ興味津々たる大阪弁の使駆であつたゝめ、東は名古屋まで、西は岡山まで、それ以上の遠方では、もはや春団治の可笑しさは理解されず、ために東京へも殆んどやつて来なかつたが、もし今少し東京人に分つてもらへる「波」であつたら、恐らく全日本的の素晴らしい「笑ひ」の存在となつてゐたらう。名声を唱はれだして以来廿年、それ晩
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