巻いて弄りものにする噺では、中の一人の子供が釜の中から青い火がでるところを見ると幽霊がでるかといかけやをくさらすのに対し、別の子供が「小父《おぢ》さん、釜から幽霊(ゆうれん[#「ゆうれん」に傍点]と発音した!)のでるわけないな、釜からでるのやつたら五右衛門(ごよもん[#「ごよもん」に傍点]と発音した!)の幽霊やな」と助け舟を出すので救はれたいかけや、「大分、お前、話、分るな」とおだてると、「さうか、そない、分るか。おつさん、私《わい》、弁護士になろかしらん」
ここらも耐らない可笑しさだつた。
「素人鰻」ではうなぎやの主人が鰻を持つたまゝ電車へ乗つてしまつたし、「返り討」では洋服を着た泥棒が崇禅寺馬場で大時代な三度飛脚に対面し、「ちしや医者」ではシルクハツトを着つた奴が籠へのつかり、頭がつかへるとて大騒ぎをはじめる。
まことに奇想天外であり、ポンチ絵に見られるナンセンスの極致である。がそれにはあの愛嬌のある狐のやうな顔をした、さうしていつも大家らしくなく凡そソソクサとでてくる姿の彼、いつも飛んでもない極彩色の高座着を着てゐた、背中一ぱいの定紋のがあつた、印絆纏のやう朱で両襟へ春団治としたゝめた羽織があつた、ハツピイコートみたやうなのがあつた、金の腕輪を光らせてゐた、故文三は赤俥を乗廻した由であるがこの人のは明治初年の人力車のごとく、俥の背へ赤く大きく菊水が彫られてあつた、つまり、さうした意表にいでた服装やら、装身具やらの一切が、ことごとく花やかで荒唐無稽な彼の落語とよく嫌味なくマツチしてゐた。あのナンセンスは春団治の生活全体であつたから、それで反感を抱かせなかつたものと信ずる。(同じ異装をした人でも、故桂ざこば、桂助六のあの嫌味さをおもふとき、此は容易に解決されよう)
次に、云ひ度いのは、春団治、近世芝居噺の名手桂文我の門人で我都と云ひ、のち先々代文団治(七代目文治)門下へ転じたのであるが、前座から二つ目までのこの人は、凡そ本格そのものの「芸」であつた、それが凡そ極端に崩れたのだと云ふことである。その片鱗は、常に見られた。否、その片鱗あつて、この人のナンセンスは、あれほど光つたのであると云ひ度い。しかも、容易に世人はそれを見落してゐた。「ふたなり」のさびしい森で、娘に首縊る手だてを教へるときには、木の間洩る月の光りに、はるかの枝へしごきを投げる老爺の姿をありあり
前へ
次へ
全8ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング