相手の顔を見るなり、「あの、おやつさん、たのみがあるのですがおやつさん、ほんまにたのみますわ、おやつさん、なあおやつさん」と云ふ男を、なぜ、おやつさん/\とぬかすのかと叱り、代つてもう一人の連れに話をさすと「いえ、なあ、おやつさん、ほんまにおやつさん、この男のやうにおやつさんつかまえておやつさん/\ぬかしたら、そら、おやつさんかて困るやろとおもふのやが、おやつさん」「お前の方が、おやつさん多いやないか」「アハツ、ほんにおやつさん」「未だぬかしてけつかる」(「ふたなり」)
 一読、どうしてこんなバカ/\しいことを、大真面目に考へてゐるやつがあるかと云ふことを考へて、更めて噴飯さずにはゐられないだらう。
 その「ふたなり」では、狸に手の指を咬まれたとおもひ、片手を出して勘定する、ところが親指を一、人さし指を二、中指を三、薬指を四、小指を五とかぞへるまではいいが、その小指を再びかぞへることを忘れ、薬指を六、中指を七、人さし指を八、親指を九とかぞへて「ア一本やられた」と青くなる、さらに親指と人さし指の間を拡げて見て、ここがこんなに広いからここを一本やられたのやとガツカリする、こんなバカ/\しいギヤグも彼以外の誰が考へやう。現に、地味な芸風を以て知らるる桂米団治の「ふたなり」には、こんな表現は決してない。その指をかぞへるに「一イ二ウ三イ」とやらず「一《ひ》に二《ふ》に三《み》に四《よ》に」とゆくのも、へんに可笑しかつた[#「可笑しかつた」は底本では「可笑しかった」]。
 A、B二人の男が、兄貴株のやうな男のところへ行く。先づBが口上を切るが、しどろもどろでどうにも分らない。代つてAがやることになり「退《ど》けそこを」と一喝して、「何やお前の喋りやうは」とさん/″\小言を云つたのち、「エー、さて」と口を切る。すると、こいつの口上が余計わからない。へんにモゴ/\、フワ/\、モヤ/\として、まことに神韻縹渺としてゐる。春団治、最も得意とするところで、此又、他に見られない手法であつた。
 このモゴ/\、フワ/\、モヤ/\が、最前も云つた春団治独自の言葉の魔術で、これあつて「らくだ」の紙屑屋は世にも他愛なくあのばくち打にきめ付けられて、ツ、ツ、ツツーと滑り出すやうに二度も三度使ひにやられた。(その、何とも、気の毒な位の可笑しさ!)
「いかけや」と云ふ町内の悪たれ子供が大ぜいいかけやを取
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